黒い思惑

2015.3.8参加J庭ペーパーSS。「本」をお題に獣×研究者。
※獣姦なので注意お願いします。


 ぺらりと捲った分厚い本。一人がけのソファへ横向きに座り、膝の上にそれを乗せるのが、野瀬が一番心地いいと思える体勢だ。白衣を纏ったまま一日の大半を過ごす野瀬は、防寒具にもなりうる裾の長い服が、楽だからという理由でよく身につけていた。自身に頓着がなく伸ばしっ放しの髪は不ぞろいな長さで、一番長いものは背を隠すほどまである。職業でありライフワークである遺伝子研究に没頭するあまり悪くなった目は、縁のない眼鏡にさえぎられている。その奥には本を読むときの彼の癖である、意地の悪そうな色が込められていた。
「フン。全く、昨今の研究者には碌なのがいない」
 権威と称される本の執筆者より一歩も二歩も先を行く男は、さまざまな過去があって今、たったひとりで研究を続けている。研究室もある大きな家は死んだ親から譲り受けたものだ。そういう環境の良さが、野瀬を遠い場所まで連れて行った。だが、野瀬は後悔していないし、今更窮屈な場所に戻るつもりは更々ない。
「こらこら、悪戯をするな」
 野瀬が本に没頭しているように見えるらしい。まるで憎き敵のように分厚い本を鼻面で押しのけようとする者がひとり。先ほどまで温かいラグの敷かれた床で昼寝を決め込んでいた、野瀬の恋人。
 黒くつややかな毛に覆われた体躯に、青い瞳。鋭い牙と長い毛に覆われた尾を持つ、種の名としては狼に属するもの。体胴長は野瀬の身長の三分の二ほどあり、体重もそれなりにあるため腹部に足を乗せられるとやや重い。圧し掛かられると非力な野瀬では跳ね除けることはできないほどには大きかった。
 外見のまま『黒』と呼んでいるその狼は鼻面で本を押しやり、開いた場所に乗り上がって来た。甘えるように胸元へ頬擦りされ、野瀬はぴくぴくと動いている耳を撫でる。
「そんなに拗ねなくても、お前が一番だよ」
 外では人間不信の変人だとか、マッドサイエンティストなどという不本意な二つ名で呼ばれている野瀬の穏やかな声は、この家の中でしか聞けない。それも、黒がそばにいるときだけだ。
「黒……機嫌直して」
 ちゅ、とささやかな音を立てて目元や耳、首元に唇を這わせる。ごわごわとした冬毛がちくりと肌を柔く刺す。その感触を野瀬はことのほか気に入っている。黒はグルルル、と喉の奥から唸り声を上げた。機嫌を直したらしい声音に、野瀬は緩く笑みを浮かべた。瞬間、べろりと唇を舐められる。肉食獣の鋭い牙と長い舌。むわりと獣のにおいがする。
 もう本のことなんてすっかり忘れて、野瀬は恋人との甘い時間に没頭する。そのうち野瀬の身体に寝そべるようにしていた前足にぐっと力が篭り、黒はのそりと貌を上げた。その目は食い入るように野瀬を見下ろしている。そして舌なめずり。野瀬は捕食者になった気分で、黒を見上げる。美しい獣だと思えば思うほど、野瀬の身体は熱くなる。
「ん、……」
 狼の発情期である冬は、白衣の下に衣服をつけている暇がない。数個あるボタンを外せば白い裸体が露になる。布地とは種類の違う、艶かしい白さに誘われるように、黒は赤い舌をそこへ這わせる。なだらかなラインを描く胸元と、淡い色をした乳首。黒はまるで果実を舐め取るように舌先でそこをくすぐり、時折甘く歯を立てる。
「んんっ……」
 ここ一週間ほど折に触れて弄られている場所は常にじんじんとしている。濡れて赤く色付き、淫蕩になった乳首に自らも指を這わせ、こすり立てる。指先が狼の唾液に濡れるのも構わなかった。
「ん、黒……もう我慢できないのか?」
 黒は勃起した陰茎を野瀬の脚に押し当てていた。それは痛いほどに熱く、硬化し野瀬を貫きたいと先端から涎を垂らしている。その素直すぎる反応が好きだった。黒の交雑相手とは大違いだ。
 野瀬は従順に黒へと背を向けた。一人がけのソファから一旦降り、上半身をそこへ預ける。床に膝をついて振り返れば、それを合図に黒が背中にのしかかってくる。数時間前に交わったばかりの窄まりは、未だ黒の種を宿したままだ。二本の指で開けば、くちゃりと濡れた音を立てる。進むべき場所を示された黒は、荒い獣の息を吐きながら野瀬の中へと入ってきた。
「っ、あ――、んん、う……」
 重たいほどに蜜を蓄え、前立腺液を滴らせた凶器は野瀬の身体に引き裂くような痛みを与える。だが、それももう慣れたものだ。深く呼吸をして痛みを逃がしている間に奥深くまで貫かれた。亀頭球が膨らむ感触に、逃げられないのだと知る。本能が野瀬の脳内で警告音を発するが、もう遅い。黒は獣特有の小刻みな動きで野瀬の身体ごと揺さぶりはじめる。自分よりも小さいはずなのに、力では何倍も狼の方が上だ。
「う、っ……あ、あ、ぁぁ、っ…、ん、くろ…」
 野瀬の脇の下を通り、ソファに前足をついている黒はそこを基点に、床についた足を軸にして抽挿を繰り返す。奥深くで細い先端から前立腺液が噴出している。それは勢いを増し、すぐに腹の中はそれでいっぱいになる。薄い腹を突き破りそうなほどの大きさの陰茎が入り込んでいるというのに、それ以上の液体を注がれて野瀬は息をするのも苦しい。下腹部が痛いほどに熱く、黒の熱まで注ぎ込まれているような気がして恍惚とした表情になった。
「ああ、くろ、…くろ、なが……、あっ、んん、好き、黒永、愛してる……」
 獣に犯されながらかつての友の名を呼ぶ。黒永の遺伝子が半分入った獣を溺愛していると知ったら、彼はどう思うだろうか。そう考えるだけで高ぶってしまう。振動でずり落ちた眼鏡を持ち上げ、野瀬は前立腺への刺激で立ち上がった自らの陰茎を右手で握り、緩く上下させる。
 こんなものはセックスでも交尾でもない、ただの自慰だ――野瀬はそう自嘲する。以前勤めていた研究所で片思いをしていた相手の遺伝子を組み込んだ獣を作り、似た名前をつけて、人間としての尊厳も忘れてそれに犯されている。けれど野瀬はそれで満足だった。男の薬指に光る指輪を、もう二度と見なくてもいいのなら。
 快楽と苦しみがない交ぜになった涙が零れ、性交の激しさに汗がふきだす。黒は夢中で野瀬に求愛している。だが野瀬はもうかつての友のことしか頭になかった。腹の奥でひときわ水音がし、獣から白濁液が出されていることを悟る。種は野瀬に着床することはありえない。けれど、腹の中に溜め込むことはできる。犬科特有の構造で、陰茎には瘤のような栓がある。逃げるように零れる白濁がないことに、野瀬の唇は歓喜の微笑を浮かべた。
「ああ、好き、すき、すき……ぁぁぁっ……」
 獣は一層動きを早めて、だがまだ終わる気配はない。短くとも十分、長いと三十分は注がれ続ける。野瀬は薄い腹がうっすらと膨らんでいるのを指先で確認し、そろりと撫でさする。黒永の種を孕めた。野瀬は唇から零れる喘ぎを笑い声に変えて、黒永への愛の言葉を囁き続けた。
 そのうちに野瀬の身体は絶頂に達する。床に放り去られた本の上に野瀬の白濁がぱたぱたと零れた。
 ――獣はようやく射精を終え、身体を離した。
 体液にまみれた白い裸体を惜しげもなく晒したまま振り返る。愛しい恋人に手を伸ばし、首へ顔を埋めた。そして囁いた。
「ああ、黒……愛してるよ」