――少し、長く入りすぎたかな……。

パタパタとスリッパを鳴らしてセルティは廊下を小走りで進む。その首にかけられているのは白いタオル。しかしその首の上には本来あるはずの頭や髪の毛はもちろん存在しない。俗に言うデュラハンと呼ばれる妖精の類、という特殊な存在である彼女は、今日は仕事が早く終わったので常連になっている馴染みのチャットに顔を出していた。しかしその途中でどうしても汗を流したくなってしまい、中座してシャワーを浴びに行ったのだ。

――甘楽さんに何か言われそうだなぁ。

甘楽というのはチャットの管理人であり、チャット内のムードメーカーと言える存在だった。テンションが高く、時折暴走することもあるがどこか憎めない人。だが一度誰かをロックオンすると執拗なまでにその人に食いつくこともあり、どうにも対処に困ることがあった。
オンライン上では性別をぼやかしているセルティは、女であることを隠しているわけではないが公言をしているつもりもなかった。だがどうやら彼女はそんなセルティのことを見抜いているのか、時折確信に触れそうな質問をしてきたりして肝が冷えることも多々ある。

そんなことを考えながら脱衣所から部屋へと向かった。一緒に暮らしている恋人である新羅は、昨日から泊まりの仕事で帰ってきていない。恐らく今日も帰らないだろう。携帯にはそんなメールが昼頃入ったっきりだ。
部屋の扉である横開きの襖を開ければ、先ほど部屋を出たときとそのままの状態が残っている。開かれたままのノートパソコンはスクリーンセーバの画面が表示されていたけれど。部屋の電気をつけてから座椅子に座り、キーボードに触れて画面を復活させる。開きっぱなしのチャット画面には、『現在、チャットには誰もいません』という文字。

――あれ、みんな落ちちゃったのか。

チャット仲間達は忙しい人が多いらしく、夜になっても誰もいない日もままある。だから今日もセルティがシャワーを浴びている間に急用でも入ったのだろうと思いながら何の気なしにチャットのスクロールを下にずらす。ログはチャット画面を閉じない限りはずっと表示されているから、セルティが今日チャットにログインした時からのログが全て残っている状態だった。
素早く遡って灰色のアイコンを見つけるとそれが自分の最後の書き込みだから、そこから更に少しだけ戻ってから動かすのをやめ、ログを軽く見直すことにする。

セットン【すみませんちょっと席外しますねー】
甘楽【あらあら逢引ですかぁ〜?】
セットン【逢引って(苦笑)ちょっとシャワーを浴びたいな〜と】
罪歌【もう よるも おそいです】
セットン【それにちょっと汗かいちゃって】
甘楽【えっつまり逢引ですかっ!?】
セットン【逢引がブームなんですか?w】
田中太郎【甘楽さんそれ逆セクハラですよ】
甘楽【逆? 逆ってなんですかぁ〜! 心外ですよぉプンプン☆】
田中太郎【すぐさまログアウトしてください】
甘楽【ひどぉ!?】
セットン【あはは(笑)とにかくちょっと行ってきますね】
罪歌【いってらっしゃい】
田中太郎【いってらっしゃい〜!】

ここでセルティはチャットを離れ、シャワーを浴びに行ったのだ。いつもとかわらない、日常のくだらないやりとりを見返しているとつい笑みがこぼれるような気がする。もちろんセルティに唇はなかったから、気分だけなのだけれど。

そのままログを見つつ、タオルを机の脇に置く。自由自在に操れる影をパジャマの形にしている状態で、何となく鼻歌でも歌いたいような気分だった。ノートパソコンのタッチパッドを人差し指でするするとなぞりながら文字を追っていく。
それによるとセルティが席を外したそのすぐ後に、田中太郎というHNのメンバーが用事だと言って退室しているようだった。残るメンバーは甘楽と罪歌。他のメンバーが入室した形跡はなかった。

――この二人、一体どんな会話するんだろう……。

饒舌な甘楽と口下手な罪歌という組み合わせが珍しく、セルティは興味本位でスクロールを更に動かした。文字を打つのが驚くほど早い甘楽と驚くほど遅い罪歌の二人では、大半のログの中で甘楽が喋っているようだった。チャット画面にあふれるオレンジ色に視界がいっぱいになりながら、ナナメ読みしていると……。

――えっ!?

少し飛ばしながらログを追っていた途中に書かれている発言を目にして、セルティは驚いて無意識に影を首から噴き出させた。霧のようなそれはぼわん、と音をさせて天井へのぼっていく。半分くらいは途中で空気に飲み込まれるように消えるが、量が多かったせいでいくつかは天井の辺りでくるくると渦巻いていた。動揺してしまいそれを消すということも全く思いつかないセルティ。
それほどに動揺してしまう文字が、そこには書かれていた。

甘楽【え、罪歌さんはひとりでしたりしないんですか〜? だめですよぉ、男の人とするものいいですけどぉ、やっぱりキモチヨクなかったりとかするじゃないですか?】
甘楽【キモチヨクならないと体にも悪いらしいですよぉ〜☆】
罪歌【えっ えっ】
甘楽【罪歌さんはひとりでしたことありますよねぇ??】
甘楽【ありますよねぇ〜? そうですよねそうですよねぇ〜?】
罪歌【ひとりで、って】

何の話だ、とセルティは憤慨したい気持ちでいっぱいになる。甘楽は知らないから怒るのもいけない、と自分を落ち着かせるけれど、罪歌の実年齢を知っている自分としてはどうにもやるせないものがあった。

――高校生の女の子になんてことを……いくら甘楽さんも女の子だからと言って……!

ぼわぼわと浮かぶ影は無意識にとめどなくあふれていた。首の辺りで一旦楕円の形にくすぶっているそれがどんどん立ちのぼっていく。甘楽は慌てるばかりで咎めない罪歌に段々と冗長し、知らないならやり方教えてあげましょうか、なんてことを言いはじめて、ついには本当に詳しいやりかたを罪歌に伝授している。

――あああごめん杏里ちゃん、私がシャワーなんて浴びにいかなかったら!

罪歌は戸惑いつつも、スルーや中座という言葉を知らないせいで、文字通り甘楽にぶんぶんと振り回されていた。もちろんチャット上なので実際にそういうことはないのはもちろんなのだが、そうとしか表現ができない。

――あ、でも……これ……。

甘楽が罪歌に伝授する『キモチヨクなる方法』とやらに最初は腹を立てたセルティだったが、その文字に気づけば食い入るように見いってしまっていた。
実はセルティは一人でしたことはなかった。デュラハンであるがゆえにかは分からないが性欲はほとんどこの体に浮かぶことはないし、世の女性のように周期的な何かもない。
新羅とそういう行為をすることだって、記憶のある数百年の中では初めてのことだったくらいだ。元々そういう器官が発達していないのだ。
きっとそれは、人間ではないから。

しかし興味がないと言えばそれは嘘になってしまう。それはもちろん、ここ最近で芽生えはじめた感情だ。
新羅とそういう行為をするようになって、セルティの中にはじめて生まれたそれは、日に日に、段々と大きくなっているような気がする。

――……。

何とも言えない、切ない、というか、よくわからない気持ちになりはじめて、手が勝手に動いてしまう。左手は緩やかにカーブを描く胸元に、そして右手はそっと太ももの間に。びくびくと、それだけで体が震えそうになる。
自分の意思が遠いところにある感じがして、コントロールがきかない。

――んっ……。

影で出来たパジャマの布越しに胸元に触れる左手。手のひらに収まりきらないそれをゆっくりと揉んでみると、柔らかく弾力がある。
右手に触れる太ももは逆で、弾力の方が強いような気がするとぼんやり考えながら、熱に浮かされたように手を動かす。太ももでぎゅっと挟んだ右手をすっと上下させると、布が揺れてきわどいところに刺激を与えてきた。

――っあ、

びくん、と体が揺れた。そこは刺激を求めているような気がして、指を内側に曲げてそっと布越しに触れてみる。ほんの少し動かすだけでダイレクトに刺激が伝わって、またびくびくと体が震えた。
左手もずっと胸元をいじっていたら、段々と中心が熱を持ち、硬度を増してくる。布越しでは物足りなくなってきて、そっとパジャマの中に手を入れた。影を飛散させた方が早いと気づいたのはもうすでに直接触れた後で、ほんの少し冷えた指先に熱を持った先端が当たるとくすぐったいくらいにこそばゆい。

――うっ、きもちい、い……。

もぞもぞと太ももをすり合わせながら、右手を飲み込むように奥へと進める。もう指はしっかりとそこを捉えていた。ほっそりとした指先は器用に動くことが、今はほんの少し恨めしい。どんなに理性がそれを止めても、セルティの中に湧き上がる衝動と欲望がそれを凌駕してしまう。
じゅん、と水っぽい感覚が布越しに感じるような気がして、耐え切れず首を振る。後追う影は辺りに撒き散って、小さな粒子がぷかぷかと浮いていた。
気持ちよさが体中を支配して、手が、指が、言うことをきかない。胸を揉む手は強くなり、下腹をいじくる指はついに下着の中に入り込んだ。直接そこに触れると下着の中で熱を孕んだそこはしっとりとしているような気がする。奥へ指を進めれば確実に濡れている入り口をそっとなぞり、体中に弱い電気が走るような感覚にぶるぶると身震いした。

――あ、も、止まらない…………って、えっ!?

ぼんやりとした視界にふと違和感が浮かび、セルティは視線をめぐらせる。そうすると右側に先ほどまでなかったものがあるような気がしてそちらを向く。

――し、し、新羅ァっ!?

するとそこには、いつもの白衣を着てしゃがみ込み、両手で頬を包み込みこちらを凝視している新羅がいる。
びくっ、と反射的に体が揺れた。そのことによって気づかれたことに新羅も気づいたのだろう。しかし彼は全く持って慌てることもなく、小さく首をかしげてこう言うのみだ。

「あ、僕のことは気にしないで。続けて続けて」

手のひらを差し出しそんなことを言って、セルティの体を凝視する新羅は心底真剣な表情だ。眼鏡のガラス越しの瞳はびっくりするほど澄んでいて、セルティは一気に現実に引き戻される。

「セルティ? ――ウワァァァッ!!?」

そんなセルティが一番最初にしたのは、手を体から離し懇親の力で新羅を殴ることだった。羞恥に意識が奪われ、力の加減もできない。一気に吹っ飛んだ新羅の体は畳の上を滑り、部屋の端へ投げ出された。

『な、なんで帰って、それn、なんで、』
「落ち着いてセルティ」
『落ち着いてられるかぁ!!』

あんなことをしているところを見られて、あまつさえそれに全く気づいていなかった。恥ずかしすぎて耐え切れない、とセルティは影を操り新羅の体に薄いひも状のそれを巻きつけながらぶるぶると震える。新羅はただされるがままだった。

「そんなに恥ずかしがらなくても、普通のことなんだ、っイテテテテ」
『うるさいうるさい!! もうそれ以上喋るなぁ!!』

それ以上耐え切れなくて新羅の口も影で全てふさいでしまう。しかしそんなことは全く気にしないらしい新羅はやたらと嬉しそうな顔をしていて、恥ずかしさでぎゅっと手を握ることしかできないのだった。




11.06.23