「ねぇセルティ。これからでかけないかい?」

突然そんな風に新羅が提案したのは、セルティが常駐のチャットに顔を出しているとき。そのチャットには参加していないはずの新羅だが、恐らくそのログは、彼が目にしているノートパソコンのモニタ上に表示されているのだろう。そんな悪趣味な覗き見を咎めるもやめる気を一切見せないのでセルティはもう諦めの境地だ。

『ログを見るなと何度言えば分かる。それに、もう遅い時間なのに出かける気か?』

タスクバーに表示されている小さなアイコンを押してメッセンジャーの画面を呼び出し、そこに文字を打つ。その横に小さな窓が開いているセルティが『セットン』というハンドルネームで参加している常駐チャットでは、ちょうど夜のデートについての話題が投下されていた。話の種は、チャット主である甘楽が言い出した「最近デートとかしてないんでしたいですねぇ〜☆」という言葉だった。いつもテンションの高い管理人のそんな話題振りに反射的に呆れるような言葉を残すチャットメンバーもいたが、それでも会話していくうちに段々と自分が知っているオススメスポットを紹介していく流れになった。池袋在住の人が多いこのチャット。必然的にその場所は池袋や、その近くの新宿などに限られてくる。
首なしで昼間の外出にはフルフェイスのヘルメットが手放せないセルティが行った事もない場所がいくつも出てくるのをぼんやりと眺めつつ、時折知っている場所が出たときにレスをしていたときに、新羅は声をかけてきた。
新羅は多分、セルティが少なからず退屈を覚えていたことを見抜いていたのだろう。
そして更に新羅は、セルティが考えることを予測していたかのように小さく笑う。

「言うと思った。あのさ、明日休みって言ってたでしょ?」
『すぐ仕事が入るかもしれないけどな』

セルティはほんの少しの悔しさを浮かばせて、そんな風にメッセンジャーの画面に文字を打った。運び屋を生業にしているセルティは、メール一本で即座に仕事が舞い込んでくることばかりだ。今この瞬間にメールが入ることだって十分にありえるのだ。

「もう夜も遅いし、さすがにこの時間からの仕事は僕は大手を振って送り出せないなぁ」
『相変わらずの過保護だな』

新羅は、セルティのことをまるで壊れ物のように扱う。首から上が存在せず、体のどの部分を切られようと痛みも鈍く、すぐに回復する。そんな化物のような存在であるセルティを、ただの女のように接するのは新羅くらいのものだ。
そもそもセルティの性別どころか名前だって知らない人も多いくらいなのだが。

「まぁいいじゃないそんなこと。それよりさぁ、僕とデートしておくれ! 最近セルティってば忙しくて、ちっとも僕の相手をしてくれないじゃない」
『デート?』
「そう、デート」

怪訝な指つきでキーボードを叩くセルティに、新羅は臆することもなくそんなことを言いはじめる。首なしであるがゆえにフルフェイスのヘルメットをつけることが必須であるセルティはあまり外でおおっぴらに活動することは叶わない。目立ってしまうことを避けて二人でいるのはもっぱらこの家の中ばかりだから、デートという単語はあまりにも新鮮だ。

「夜なら目深にフードを作って被れば目立たないでしょ? それに、とっておきの穴場があるんだ」
『穴場?』
「うん。場所は、行ってからのお楽しみ」

新羅はそんな風にもったい付けて、その先を言おうとしない。焦れるセルティだが、言葉で新羅に勝てる気がしなくて仕方ないと首を縦に振りながら立ち上がる。
結局のところ、それを許容してしまうほどには新羅に惚れ込んでしまっているのだ。

『シューターに乗ればどれくらいでつくんだ?』

指先一本でキーボードを叩いて文字を表示させれば、いつの間にか立ち上がりセルティの背後に立っていた新羅は、セルティの肩越しにノートパソコンの画面を見つめている。メッセンジャーの画面に表示された小さな文字。それを見た新羅はセルティの腰に手を回し、肩口に唇をつける。

「歩いて行ける距離だよ。池袋よりも近い」
『?』

突然新羅の体が密着してきたことに驚きつつもキーをひとつだけ押した。この近くに、しかも繁華街である池袋へ到達する前にデートスポットなどあっただろうか。
セルティはそう考えながらも、許可もなしに抱きついてきた新羅を引きはがそうと腕にぐっと力を入れる。

「ねぇセルティ、せっかくのデートなんだからさ、着替えてよ。ライダースーツじゃ味気ないし。なんなら今ここで一旦裸になってからでも……」
『変態め』

セルティのみぞおちの辺りでしっかりと手を組んでちっとも離れようとしない新羅は、腕の力に負けることもなく笑顔でそんなことを言いはじめる。
セルティはそれにすっかり呆れてしまう。もし首があれば盛大にため息をついている。
そして袖口から取り出したPDAに簡潔な文字を打って、新羅の顔に押しつけた。

「い、いひゃいし見えにゃいよセルティィィィ」

頬にPDAをぐいぐいと押しつけられきちんと喋ることがままならない新羅。しかし彼はそんなことには一切めげずに口を開いて中途半端な言葉を紡ぐ。ちっとも諦めない新羅に根負けしたセルティは、一旦体の力を抜く。
そして新羅が密着しすぎていることを利用し、素早く影を動かして着ているものを変化させる。ライダースーツからフード付きのパーカーと膝丈のスカートへ。新羅が背中にべったりとくっついているから少し苦心しつつ変化を終えると、それに気づいた新羅が不満げな声を上げた。

「セルティィィィ! 作戦勝ちってやつかい!?」
『うるさい。出かけるならほら、さっさと行くぞ。夜中になっちゃうだろ?』

PDAに新たに打った言葉を新羅につきつければ、嬉しそうな声が返ってくる。それに呆れる気持ちを浮かべつつ、玄関に向かう新羅を追いかけるのだった。






高速沿いでマンションが多いこの辺りは、日付が変わりそうにな時間になっている今、ほとんど人通りは見られない。それでも裏路地の曲がり角にさしかかるたびにびくびくとするセルティに、新羅は少し笑いながら隣を歩いていた。

『ここは……?』

そして到着したそこは、マンションから5分ほど歩いた場所だった。裏路地をぐちゃぐちゃに曲がって、ずっと新羅にただついていっていただけだし、誰かに見られないかとびくびくしていたからここがどこなのかは全く判断ができない。
普段はヘルメットをつけた状態で外を歩いたりシューターに乗ることばかりだから、こんな風に真正面から見られれば違和感に気づかれてしまうような格好で外出することには慣れていない。いつ人が来たら、と思うだけで鳴らないはずの心臓がどきどきと高鳴っているような気がする。
そんな不安を解消するように新羅はそっとセルティの手を取って、きゅっとつないでくる。新羅の手はいつもあたたかい。
その手を握り返して顔を上げる。そこはマンションとマンションの間にあって、セルティの身長ほどの黒い柵で囲われた入り口があった。まるで、小さな公園のようなところだった。

「移動遊園地だよ」

新羅が言うにはこれは常にあるものではないらしい。確かに見たことがない、と思いつつ人がひとり通れるくらいの隙間が開いている柵をくぐる新羅の後ろに続く。その向こうには、新羅の言う通り遊園地があった。
数個ある乗り物と、それにまきつけられた電飾。オレンジ色のぼんやりとした光を放っているそれは、柵の外から見ていた印象よりもずいぶんと明るい。まるでベールに覆われた秘密基地のようだと思った。
やたらと雰囲気があるその光景。幻想的な光に視界を奪われる。

『……ここは』
「すてきなとこでしょ。ほら、行こう」
『えっ、どこへ……』

セルティがPDAに表示させた文字を新羅は見ることなく、それを持っている手首を掴んで引っ張られた。駆け出した新羅に足を絡ませながら追いかけるセルティ。
大した広さがないらしいそこ。なので、すぐに端に行き着いた。一番奥にあるのはメリーゴーランドだ。新羅の目的地はどうやらここらしい。
セルティが普段見慣れる首のない黒馬と比べるとサイズは三分の二ほどだろうか。そのほとんどは白乳色の肌をしていた。その体には緑色の蔦が巻きつきカラフルな花が咲いている。天に伸びるぐるぐると巻かれた持ち手は金色。それらはところどころ塗料がはがれかけていて、趣があると同時にほんの少しだけ怖い、とも思った。

――こういったレトロなものって、何かが宿ってそうだよなぁ……。

実際そういったものの気配は感じないのだけれど、ついそんなことを考えてしまう。
実際の遊園地にあるようなものとは違うようで、こじんまりとしたそれは柵も小さなもので、乗り上げれば簡単に超えられそうだった。しかし普段のライダースーツならまだしも今は膝丈のスカートをはいているし、何よりも今はデート中だ。さすがにそれはできないかなぁ、なんて思っていると新羅はセルティの考えていることを言い当てるように脇にある柵と柵の間にぽかりと開いた入口を指で示した。
そのまま歩き出す新羅に連れられて、柵の中。

「ねぇどれに乗りたい?」

新羅はそんな風に問いかける。セルティはあたりを見回して、あれ、と少し遠くにある馬を示した。しかし視線の先にはいくつも馬がいる。新羅が首をかしげて「どれ?」と言うので、繋いだ手をそのまま引いてその馬の前まで連れて行く。

「これだね。了解しました、お姫様?」
――えっ!?

恥ずかしいとしか思えないセリフを突然新羅が言い出して、それに気を取られている間に体を急に持ち上げられた。暴れて抵抗する間もなくふわりと浮かんだ体は、気づけば馬の背の上に腰を下ろしている。

『し、ししんら!?』

持ったまますっかり存在を失念していたPDAにようやく文字を打ち込んで新羅に見せるが、それに言葉は返ってこない。その代わりに新羅がしたのは、よっ、と声を上げてセルティが乗っている馬にその体をまたがらせることだった。
横向きに座っているセルティの体を包み込むように馬に乗った新羅は、ぐっと近づいた体をもっと、と近づけてセルティを強く抱きしめる。

「ほら、もうすぐ動くからしっかりつかまってね?」

新羅がその言葉を発した瞬間に小さなブザーが鳴り、ガコン、と機械音をさせてメリーゴーランドが動きはじめた。セルティは慌てて金色の手すりにつかまる。しかし新羅がぎゅっとその体を抱きしめているから落ちないだろうということは感じていたのだけれど、やはり不安定な場所というのはほんの少しだけ怖かった。
ゆっくりと回るメリーゴーランドにたったふたりきり。何だか気恥ずかしくて新羅の顔が見れずに天井を見上げると、屋根の裏側にはちかちかと光る電飾がいくつも飾り付けられている。その瞬間、ぼんやりとしたオレンジ色の光に視界がいっぱいになる。
歩くよりもきっと遅い速度のメリーゴーランドは、まるでゆりかごのようだ。上下に緩やかに揺れながら進んでいって、けれどまた元の場所に戻ってくる。

『新羅……』
「どうしたんだい?」
『あのさ、連れてきてくれて……ありがとう』
「こんなのいつだってお安い御用だよ!」

新羅はにっこりと笑みを浮かべて、ぎゅっと抱きしめてくる。体温が伝わってきてそれが温かで、幸せで、夢のようだとセルティは思った。

「ねぇセルティ――――」
『え、何だ? 聞こえな……』

新羅が不意に口を開く。しかしその言葉は途中で音量をミュートにしてしまったようにふいに途切れた。そしてその瞬間、セルティの視界は段々と飛散する。まるでホワイトアウトするように新羅の顔が見えなくなって、そして――







「セルティ! セルティってばぁ!」

声が聞こえてセルティは覚醒した。
(ん、覚醒?)
そう思ったところで、何もかもを自覚する。

――ああ、夢を見ていたのか。

通りで夢のようだと思ったわけだ、となんとなく自嘲めいた言葉を意識に浮かべながらゆっくりと体を起こす。リビングと続き部屋になっているガラスの扉がある小さな書斎。そこで仕事に行った新羅の帰りを待ちながらパソコンでインターネットをしていて、その途中で眠ってしまったらしい。
傍らに開かれたままのブラウザには文字とメリーゴーランドの画像が小さく表示されている。遊園地が閉園したニュース記事を見て、残念だなぁと思っていたのだった。
きっと、そのせいであんな夢を見たのだろう。

――我ながら気恥ずかしくてしょうがないけどな……。

思い返せば返すだけ羞恥が増していくのを感じた。新羅とデートをする夢を見て幸せだと思っていたなんて、全く色ボケしていると思う。

「セルティ?」
『おかえり、新羅』

全てを誤魔化す為に、何もないような仕草でPDAに文字を表示させた。新羅はたったそれだけで簡単に逸らされてくれる。セルティの心を読んだような発言をすることが多い新羅だが、さすがに夢の内容までは推察できないだろう。

――そんなことより、今度デートにでも誘ってみようかな。

遊園地はさすがに無理だけど、楽しいところがいいなぁとセルティはぼんやりと考える。新羅は不思議そうに首をかしげている。
なんでもない、とばかりに首を振りながら、仕事から帰ってきたばかりの恋人にコーヒーでも入れてやろう、と思ってセルティはノートパソコンの蓋を閉じたのだった。




11.07.11