コンコン、とノックの音がして新羅はぱかりと瞼を上げる。
枕元の時計を見ると、針はずいぶんと深い時間を差している。夢うつつのところにいた新羅だったが、この扉をこんな時間にノックする存在には一つしか心当たりがない。そう思うと睡魔などすぐに飛んでいく。

「セルティ?」

言葉は思っていたよりずっとかすれていた。もしかするとその声音に遠慮して扉を開けることをためらわれるかと思ったけれど、予想に反してその扉はおずおずと開かれた。
廊下からの明かりがこちらに届いて、部屋の中がほんの少し明るくなる。しかし、間接照明を切っている寝室は本来真っ暗だ。暗いままでは危ないと思って新羅は手を伸ばし、枕元にある間接照明のスイッチをオンにする。
白熱灯のぼんやりとした明かりが灯り、それによって新羅のぼやりとした視界もややクリアになる。とはいえ眼鏡をつけていないせいで扉付近の様子をハッキリと見ることはできない。それでも影色のパジャマを着て白い枕を抱えているセルティの姿を認識することはできた。

「眠れないのかい?」

新羅の言葉に答えるように、ぱたん、と閉まった扉がその言葉を肯定しているように聞こえた。しかしそれに反して遠慮しているのか、扉の前で立ち止まっているセルティのいじらしさに笑みをこぼす。枕まで抱えて、何を言いたいのかなんて一目瞭然だというのに。

「おいで、遠慮なんてしなくていいよ」

上半身を起き上がらせ、布団を持ち上げてから手を差し出せばおずおずとしたような仕草でセルティはこちらに近づいた。一人で眠るにはずいぶんと大きなベッドだ。セルティをひとりを更に乗せたところで軋む音を立てることもなく、ベッドマットがゆらりと動くのみだった。
新羅は少し奥にずれてセルティを布団に迎えつつ、寝転がる。そして横向きに寝返りを打ってセルティの首からこぼれる影を見つめた。ゆらゆらと立ち上る影は新羅と同じように横向きに寝転がった首の断面から、九十度折れ曲がって天井へと伸びている。

「怖い夢でも見た?」
『……新羅は何でもお見通しだな』

セルティが服の袖から出したPDAを打ち、こちらに向ける。眩しいくらいの光量に目を細めながらそこに表示された文字を読む。予想通りだったと新羅は内心呟きながら、そんなセルティが愛しくてしょうがなくなり、その体をぎゅっと引き寄せる。一瞬にして腕の中に抱き込まれたセルティはびくりと体を揺らすが、その後は抵抗することなく新羅の腕の中におさまった。
温かくも冷たくもない体は、不思議な感覚がするといつも新羅は思う。すっぽりと腕の中におさまる華奢な体。もっと、と抱き込むと必然的に近づいた影が新羅の頬をそっと撫でた。

「大丈夫だよ。こうやって僕と一緒にいたら、そんなのすっかり忘れちゃうよ」

胸元にそっと顔をこすりつける。これじゃあどっちが怖がっているのか分からない体勢だなぁ、と思いながらも新羅はそれをやめない。セルティの胸元は柔らかく、触れるととても気持ちがいいのだ。

『新羅……』

PDAの光が目の端に映る。ちらりと見上げれば、困ったような言葉。戸惑うようなそれに内心笑みを零す。自分に呆れてセルティの不安が消えるなら、自分はいくらでも道化になることができた。

「ねぇセルティ……。怖いことなんてみんな忘れちゃうようなこと、しようか……?」

上半身を少し起き上がらせ、セルティの体の上に乗り上げる。そして、そう口にしながら横向きのままのセルティの胸元に右手を這わせた。更に首元に唇を寄せ、皮膚と影の境目にそっとそれを押しつける。弾力のある皮膚とぼんやりと形のない影が唇に触れ、変な感覚だなぁと新羅はぼんやり思った。

『し、ししんら、なに、を……』
「分かってるでしょ? セルティ。あと……眩しいから、さ」

ないないしよ? と、子供に言うような言葉づかいでセルティが持つPDAを右手で取り上げてしまえば、焦ったように手を伸ばす姿がかわいらしい。素早くベッドのヘッドボードの上にPDAを置き、そのまま宙に浮いたセルティの手をきゅっと握り締める。それを自らの口元に持って行き口づければ、恥ずかしいのか首の断面からぼわん、と影が噴き出した。
セルティのほっそりとした指先を唇の先端で可愛がりながら、その体を転がし仰向けにさせる。そこへ少し上半身を起こしてまたがり、両足で体を支えながら左手をそっと胸元に這わせる。
間接照明に照らされたセルティを見下ろす。黒いパジャマから覗く真白の肌は、思わずごくりと唾を飲んでしまうなまめかしさだ。体温を感じさせないその色に、同じ白でも種類の違う、不健康的な生白い肌の自分の手のひらが重なる。
セルティは上目づかいにこちらを見上げるような首の角度をしていて、それに気づいて思わず唇の端から笑みが零れた。それはセルティの視界の真正面にあって、だから一瞬にして訝しがるような『表情』になる。彼女には首から上がないけれど、その『表情』の変化は新羅には一目瞭然だった。

「そんなに警戒しないで」

右手で掴んでいたセルティの両方の手の指先を、ちゅっちゅっ、と小さな音を立てて食みながら言えば、もっと胡乱げな『表情』をしてくるから面白い。こうしてずっとからかっているのも楽しいけれど、今したいのはそうじゃないんだよねぇと思い、左手に這わせた緩やかなカーブをなぞれば、途端にその体はびくりと揺れた。布越しでもやわらかだと分かるその感触。セルティは元々ブラジャーをつける習慣がない。普段着ているライダースーツで胸を潰しているからだ。ごくたまに通販で購入したものや新羅がプレゼントしたものを自宅で身に着けることもあったが、眠るときはほとんどの確率でそこは無防備だ。
そんなことを考えていると、思考が零れたのか今度はセルティの影が胡乱気に揺れる。何もないという風ににこやかに笑いながら、右手で掴んでいた手を開放してやる。ぱたりとシーツの上に落ちた両腕は、柔らかなそこに濃い影を作った。
そして、自由になった右手は首元へ持っていった。親指で首の根元をそろりとなぞる。そこが性感帯なのはとっくに知っていて、予想通りセルティはその刺激にふるふると体を震わせた。
右手で首の付け根や首筋をなぞりながら左手で胸元を愛撫する。布越しに緩やかな左側のふくらみを手のひらでなぞり、くるくると円を描くように撫でたり、指で挟むように揉んでいると、だんだんとやわらかくなるような気がする。しかしそれとは対照的に、ある一点だけはじわじわとかたくなりはじめた。そこを指先でつまんで引っ張り上げれば、びくん、とその体が揺れる。

「気持ちいいんだね?」

断定形の言葉はあっさり無視されたけれど、その反応は肯定しているようなものだった。右手で喉元を撫でつつ、左手で布越しの乳房をかわいがる。セルティは時折ぴくり、ぴくり、と体を揺らし、その身をくすぐったそうによじる。新羅の手から逃れるような動きを先回りしてしつこく触れていれば、そのうち耐え切れないというように胸元に手が伸びた。
ぎゅっとパジャマを掴まれて新羅はにい、と笑みを浮かべる。セルティがそんな風に縋ってくることに喜びを隠せない。

「セルティ……ねぇ。もっと気持ちよくなりたい、でしょ?」

誘惑するように、わざと低い声でセルティの影に息を吹きかける。ふわふわと飛散しているそれはその風にふわりと辺りに散らばった。
そしてセルティはその言葉に小さく首を縦に動かし――そしてまた影がふわりと揺らめいたのだ。








あつい、とセルティはうわごとを口にするように思った。
実際にセルティにはその唇がない。だからそれが相手に伝わることはないし、そもそもセルティの中にあついという感覚自体、かなり遠くにあるものだ。なのに、なぜかそれを知覚してしまう。実際には大した起伏はないのに。
けれど新羅はそんなセルティを見て、心配そうな表情をしてくる。

「あついのかい? セルティ」

そして的確に今の状況を言い当てる。新羅は、こんなに近くにいても私には分からない他人という存在を知る術に驚くほど長けている。

――すごいな、お前は。

セルティはそんなことを思いながら腕を伸ばした。深いところですっかりつながっているというのに、足りないと、もっと近づけとばかりに新羅の背に手を回して引き寄せてみる。
新羅はその手に導かれるまま、簡単にこちらに上半身を近づけた。それによって近くに来た顔は、上気した頬が少し色濃くなっているように見える。

「僕が分かるのは君のことばかりだよ」

セルティの頭の中を読んだかのような言葉を新羅は口にして、にい、と唇の端をゆがませた。余裕のありそうで、ない笑み。そんな顔が好きだと思った。
指先を新羅の頬に滑らせる。柔らかな肌は少し汗ばんでいて、乾いていた指先を湿らせた。つるりと滑ってすぐにシーツの上に落ちた手。そんな手を新羅はわざわざ拾い上げて、指先に唇をつける。緩やかに曲線を描く指の第一関節から第二間接、そして根元までを唇でなぞり、こちらを見下ろしてにっと笑った。
あからさまな甘い挑発に、簡単にほだされるほどには骨抜きにされていた。その指先を動かして新羅の唇を逆になぞってしまうほどには。

「くすぐったいよ、セルティ」

新羅は嬉しそうに笑う。こうやってじゃれるのはきらいではなかった。セルティの中にある羞恥心だとかそういうものがほんの少し薄れて、ちょっとは素直になれるような気がするから。

――うごいて。

指先で新羅の唇をなぞりながらそう伝えた。実際には何もしていない。けれど、新羅はセルティの意思をどこからかくみ取る。そして、また笑う。
ぎゅっと手をつかまれた。その手は新羅の手に連れていかれて、シーツに沈み込む。
そしてそうしながら、新羅は不意に体を突き上げるように近づけた。中に入っているものがもっと奥へと入り込んで、セルティは背中を仰け反らせる。ぴりぴりとした微弱な電気のようなものがセルティの中に駆け巡った。気持ちよさが体中に満たされて、そこから熱が生まれる。

――あつい

かなり近い感覚で、セルティはそう思った。新羅の熱がこちらに移ってきて、勝手に体が震えてしまうくらいに追い上げられる。
圧倒的なあつさがつながっているところから入り込んで、セルティをほだたせる。その熱のせいなのか……新羅の体から降ってくる汗さえ愛しいと思った。
荒い吐息が新羅の口から零れて、その余裕のない表情を見るとなんともいえない気持ちになる。重なった手に指先を絡ませたら、すぐに新羅はぎゅっと握り返してきた。こちらももう一度強く握る。このままひっついて離れなくなればいいのに、と割と真剣にそんなことを考えてしまった。

「セルティ、好きだよ」

新羅は絶妙のタイミングでそんなことを言って、動いていないはずの心臓が震えるような気さえしてしまった。愛しさが募って我慢がきかなくなって、繋いでいない方の手を新羅の方へ伸ばす。新羅は、セルティの意思を汲むように上半身を近づけた。
新羅の首の後ろを掴んで引き寄せて、そうすると近づいた唇が首筋に触れてくる。その瞬間何かが体中を駆け巡り、びくびくと震えるような気がした。そこはかなり弱い部分だと知られてしまっている。柔らかな皮膚と、そこから吹き出す影。通常の人間にはない部分だから、セルティよりもセルティの体の構造に詳しい新羅でも、そこのことはよくわからないらしい。
ただ、そこに新羅が触れると何だかよく分からない高揚とした気分になるような気がすることだけは、セルティが知っている唯一のことだった。

――新羅、しんらぁ……

我慢がきかず、縋るような視線を送ってしまう。実際に目はないのに新羅はそのことにもちろん気づいて、小刻みに腰を揺らした。奥にそれが当たるたびにどんどん痛いくらいの気持ちよさが増して、意識があいまいになっていく。

新羅が近くて、熱くて、このまま溶けてしまうんじゃないかと思った。

「セルティ……」

新羅は抑えた声を上げる。堪えているような顔は、はっきりと余裕がないことがセルティにも簡単に分かって、愛しかった。
その声を聞いてその顔を見ているだけで、セルティの中に言いようもない気持ちが溢れて、爆発寸前になる。
つながったところが熱くて、あつくて、あつくて、こすれ合うたびにどんどん訳が分からなくなっていく。

――も、う……しんらっ……!!

びくびく、と体が震える。自分の意思ではどうしようもないその感覚は電気が走るように体中を駆け巡って、セルティの意識を剥離させた。自分と意識が離れていくようなそんな気がして、飛んでいきそうになる意識なのか体なのかよくわからないものを必死で抑えるために新羅に抱きつく。
ぐい、と引き寄せた体が動いて、それに連動して奥に当たっているものがほんの少し角度を変えた。それが新羅にとってのきっかけになったらしく、近くで呻くような声が聞こえる。

「っう……セル、ティ……」

ぎゅう、と強く抱きしめられる。セルティは剥離していく意識の中、その新羅の腕を必死で掴む。そうしていさえいれば、何かは分からないけれどきっと大丈夫だと、そう思えるのだ。








『馬鹿、新羅の馬鹿野郎、変態、』
「ご、ごめんようセルティ……」

羽毛布団に包まって、更にぎゅっと新羅の腕に抱きしめられた状態で、セルティはただひたすら取り返したPDAに罵詈雑言を入力しては新羅の眼前につきつける。
新羅はそれにただひたすら謝っているけれど、それが口先だけのことなんて分かっている。口元はニヤついているのがPDAから漏れる光でばっちり見えていた。

「でもセルティ、もう怖い夢なんて忘れちゃったでしょ?」
『それは……そう、だけど……』
「だったらほら、もう寝よ? もしまた怖い夢を見たら、また忘れさせてあげ」
『寝るぞ』

またくだらないことを言い始める口をPDAを押し付けることによって封じる。そしてそのPDAをすぐに仕舞い、さっさと視界を閉じた。真っ暗になった視界は自室にいた時とは種類の違う暗さだと思った。今は柔らかく包み込むような闇に、身を任せていればすぐにでも睡魔がやってきそうだ。

――ありがとう、新羅

ぎゅっと新羅の体に抱きつけば、その腕の中は温かくて、新羅の匂いがした。安心できる温度と匂いに、セルティの意識はゆっくりと薄れていく。

「セルティ、おやすみ……」

新羅の声がうっすらと聞こえた。けれどそれに返事をする前に、セルティは沈み込むように眠りに落ちてしまったのだった――。




11.09.04