空は曇り色。雨が降りそうだなぁ、とベランダに続く透明のガラス窓を見上げながら考える。もう昼だというのに爽やかさの欠片もない。ソファに沈み込むとかたいスプリングのそれは、しかし体をゆったりと包み込んだ。
「セルティ、考え事?」
不意に頭上から声がかかる。それに反応して体を振り向かせた。目が合うのは白衣姿の男。
――頭上と言うのにはやや語弊があった。そして目が合う、という言葉も。
なぜなら振り返ったその肩の上にあるのは頭ではなく、黒いもやのような影だった。首の真ん中辺りですっぱりと切り取られたシルエット。そこから吹き出る黒。身に着けているライダースーツの形をしたものも、影だった。質量を変化させエナメルのようにしているそれ。しかし光を吸い込む影はエナメル独特の照り返しを生むことはなく、ただただ深い漆黒が白い肌を包んでいた。
『なんでもないよ』
セルティは袖の中から取り出したPDAに文字を打ち込み、その内容をソファの背の向こうにいる男に見せた。それをじっと見つめた男は、そう? と首をかしげる。
毛先が跳ねた暗い栗色の髪に、黒い縁の眼鏡。そして自宅だというのに白衣を着た男は、セルティとは違いごくごく普通の人間だ。
そして、自分達は恋人同士という関係だった。
「君が憂い顔でいるとなんだか心配だな。そんなセルティも佳人薄命って感じで素敵だけどね! やっぱり君には笑っていてほしいんだ」
にこやかに笑みを零しながら、そんな世迷言を言う男。顔など存在しないのに、彼はいつもそうやってセルティの表情を読む。そしてそれは高確率で正解だから、いつだってセルティは驚きを隠せない。
『よくわかるな。私の心配はしなくてもいい。そんなことより、仕事があるんじゃなかったのか?』
しかしそれに素直に礼を言うような性格をしていないセルティはさらりと言葉を流し、そう問いかけた。男はそれを見て、今思い出したような顔をする。
「そうだねぇ。そろそろ出かけないといけないかぁ。僕としてはセルティとこの家でずっと一緒に過ごしたいんだけど、一応こんな私にも待ってるお客さんがいるんだからねぇ。いや、本当は急患なんていないほうがいいんだろうけど」
『そうだな』
ローテンション気味の状況を軽く流してくれたらしい男はそんなことをぺらぺらと喋り始めた。
セルティが一切の言葉を発さない分、と思えるくらいに彼はよく話す。顔がないからあまり知られないけれど実は外国出身であるセルティが知らないような言葉遣いをすることも多い。
「まぁ、そんな訳でそろそろ行って来るよ。君は今日は休みかい? 羨ましいねぇ。僕はせいぜい精励恪勤してくるとするよ。夜には帰れると思うけど、帰る前にメールするね」
小さくウインクをして部屋を出て行った男を見送り、セルティは内心で息をついた。恋人であり同居人である男と一緒にいるのは楽しいけれど、気分があまり上向きでないときにはほんの少しだけれど、疲れてしまうこともある。
こんな天気のせいだ、とセルティは心の中で呟きながら隣の部屋へ移動した。
部屋、と言うには少しばかり小さいそこ。リビングと続きになっている長い机と椅子がたった二つきりのその場所は、パソコンを使用するときの部屋だった。ガラスの扉なので部屋というよりはリビングのおまけのような認識をしている。
ガラス扉を開け放したままだったのでそのままそちらへ入り、赤いノートパソコンが置いてある側の椅子に座る。蓋を開け、スリープモードを解除してから、セルティは常駐しているチャットルームにログインした。

セットンさんが入室されました。

セットン【ばんわー】
狂【これはご機嫌麗しゅうセットンさん! こんな祝日のお昼から入室だなんて珍しいですわね。あら、でもセットンさんのお仕事は不定期なのでしたっけ。それならばこんな時間の会合にも納得がいきます! 何にせよ今ここでお会いできたこと、嬉しく思いますわ!!】
参【こんにちは】

チャットルームにはすでに二人の入室者がいた。いつも同じ部屋でパソコンを並べてチャットに参加すると公言している二人だ。文字数制限にかかりそうなほど長い文章を打つ狂と、ぽつりと呟くように文章を綴る参。二人はあまりにも対照的だった。

セットン【お二人は今日も元気ですね。他には誰もいないんですか?】
狂【先ほどまでバキュラさんがぐだぐだとよく分からない愛の薀蓄を語っていましたけれど、少し前に入れ違いに退室してしまいましたわ。他には今日は見ておりませんわね。と、言いましても私たちも一時間ほど前に入室したばかりなのですけれど】
参【ふたりきり】
セットン【そうなんですねー】
狂【ところでセットンさんは確か恋人がいらっしゃる、でしたね? それなのにこんな日、こんな時間にここにやってきたと言うことは彼、もしくは彼女さんはお仕事なんですの?】
参【ぼっちなんです?】
セットン【いきなり質問攻めですかw 相方はいますし確かに仕事ですがあんまり詮索しない方向でお願いしますw】
狂【ガードが固いですわねぇ。それにしても今日は何の日かまさかセットンさんお忘れという訳ではありませんでしょう? 今日は! 全国津々浦々の恋人同士が愛を語り合う前日ですのよ?】
参【クリスマスイブイブ】
セットン【そういえばそんな日ですねー。忘れてた訳ではないんですが。私よりお二人も予定はないんですか?】
狂【わたくし達はこうやってこんな日に救いを求めてこのチャットルームにいらっしゃる迷える子羊たちをあざ笑……失礼。導くためにこうやって常駐しているという訳で……】
参【ぼっち×2】
狂【あら参さん。私にはデートのお誘いだってあったりなかったりですのに、寂しいから一緒にいてと言ったのはどこのどいつです? そんなことを言う子にはこうですよ!!】
参【……狂さんのエッチ】
セットン【なんか二人の世界ですねぇ】
狂【あらあら置いてけぼりにしてしまって申し訳ありませんわ!! そんなことよりセットンさん。もし恋人に遠慮してせっかくの恋人達の祭典を無下にしてしまうのはよくありませんのよ? ぜひ恋人がお仕事から帰ってきたらうんと甘えておねだりなさいませ!!】
参【らぶらぶらんでぶー】
セットン【はは、ありがとうございますw お二人も楽しい祭日を過ごしてくださいね。すみませんがなにやら仕事が入りそうなので退室しますね】
狂【恋人に続きセットンさんまでも! 社会人というのはプライベートもなにもあったもんじゃないんですのねぇ。大変そうですがご自愛くださいませ】
参【がんばってー】
セットン【ありがとうございます】

セットンさんが退室されました。

怒涛の文字量をこなし、セルティは無意識に肩を動かす。そしてノートパソコンから目を離し、傍らに置いてあるPDAを手に取った。通信手段も兼ね備えているそれ。仕事のメールを受け取るのには主にそちらを利用している。プライベートの連絡は携帯電話と、使い分けているのだ。
なのでPDAの方に連絡が入るということはつまり、仕事だ。チャット中に初めて着信したそれは、すでに何度かのやりとりを終えている。その相手はセルティに一番仕事を持ち込むことが多い、情報屋で新羅の同窓生でもある、折原臨也だ。
『よろしくたのんだよ』
最後に着信したメールにはそう簡潔に示されている。それに了解を示す返信をして、セルティは立ち上がった。リビングのローテーブルの上に置いていたヘルメットを手に取り、なにもない首の上に乗せながら玄関を出る。
行き先は新羅が向かったのと同じ、池袋だ。





「これはまた派手にやりましたね」
新羅は患者を見下ろしながら独り小さく呟いた。闇医者として働く新羅の得意先の一つである粟楠会のある隠れオフィスの中。そこにはかなり体格のいい成人男性が、腕をぎゅっと押さえて座っている。押さえた手の向こうの肌はきっとすっぱりと切れているか、穴でも開いているのだろう。腕と手の間にある白かったはずの布はぐっしょりと赤く染まっている。
それを見下ろしつつ近づいて長机の上に仕事用の鞄を置いた。ぱかりとそれをあけると、中には医療道具がそろっている。ガーゼのような白い布を取り出しそれを適当な場所に敷いてから、使いそうな道具を手際よく出していく。
「はぁ……」
寡黙な男性は小さく会釈するだけだ。その瞬間に小さく眉をしかめたから、傷が痛むのかもしれない。そんな風に考えながら話しかけつつ指示を出す。
「ナイフ? それとも銃ですか? 止血するのでゆっくり手を離してください」
男は理由を答えなかったけれど、新羅としても別に聞いた所でそうですかとしか言わないのだから、答えを待っている訳ではなかった。

おおっぴらに医者に行くことができないような怪我を治療するのが新羅の主な仕事だった。口止め料も含まれているのでその治療代はかなりの破格で、真面目に免許を取り勤務したり開業したりするのが馬鹿らしくなるほどである。
(それ以前にあんな拘束される仕事僕が選ぶはずがないけど)
セルティと一緒に過ごすために、時間に縛られないけれど高給なこの仕事を選んだのだ。その真実はもちろんセルティの知らぬところだが、もしかすると聡明な彼女はそんなこととっくに把握しているかもしれない。
(なんてったってセルティは美しいし頭も良いし何よりかわいらしいし、性格もいいし)
だらだらとセルティに対する賛辞を脳内に垂れ流しながらも、手は器用に動いて麻酔をして止血をし、しばらく待ったらその場所でそのまま縫合を開始する。腕にある傷は切り傷だったので、銃弾を腕の中から取り出す作業はしなくてよかったらしい。
本来ならば手術室でやるような仕事だが、新羅はオフィスの一角の会議室でそれを平気で執り行うし、白衣は着ているけれどそれで外も歩いてきたしマスクも付ける気がない。
(こういうの、本当はよくないんだろうな〜)
こんな体たらくである。新羅は、セルティ以外の物全てへの認識があまりにも希薄だった。セルティのことならば今日朝ベッドから抜け出す時、どちらの足から降りたかも克明に覚えているというのに。
そんなことを考えながら手を動かしていると、ほどなくして手術は終わりとなる。最初は外見からか不審気な顔をしていた男も、器用に動く手を見て認識を改めたようだ。しかしそんなことは新羅にはどうでもいいことだった。
(やっぱり一人だと時間がかかるなぁ)
オフィスの壁にかかっている時計を見ると結構な時間が経っていた。汗を拭いてくれる助手もいない、というかセルティが汗を拭いてくれるならがんばれるのになぁ、と想像をつい方向転換させてしまい内心苦笑する。
そんなことをだらだらと考えていることを患者は知ることなく、数十分後手術は無事完了したのだった。

「お疲れ様です岸谷先生」
オフィスを出た新羅に声をかけた男は隣の部屋へ移動する。その後を追い応接室の椅子に腰掛けた新羅。座ったタイミングを見計らうかのようにコトン、と缶コーヒーを置かれて新羅はそれを受け取る。熱いくらいのそれは買われたばかりのようだった。
「すみませんねこんなもので」
「いいえ、特にこだわりもないので」
オフィスも応接室も閑散としている。普段は特に使っていない場所なのだろう。コーヒーメーカーなどは置いていないようだ。新羅は缶コーヒーのプルタブをカシュ、と音を立てて開ける。向かい側に座った男は、足を開いてその膝の上に腕を置き、顎の下で指を組んだ。
それは男が座るときによく見る体勢だった。
「今日は急にすみませんでしたねぇ。あいつは若い衆ではないんですが、どうも色々トラブルがあったようで」
「そうなんですか。なんだか大変そうですねー」
「先生ちっとも興味ないでしょう?」
「ええ」
にっこりと、これ以上ないくらいの笑みを浮かべる。男はその返答を全く意外にも思っていないようで、そのままこちらを見据えてくる。
「ところで四木さん。まだ何か仕事が?」
「ええ、そうなんですよ。少しばかり遠方になるんですが、横浜の方に行っていただけませんかね?」
「それは遠いですねぇ」
はっきりと顔に面倒だという言葉を隠さず貼り付けて新羅が答えると、四木はそれも承知しているかのような態度だった。しかしそれとこれとは別、というのか。新羅の受け答えのやる気のなさには特に言及するつもりもないらしいが、依頼を実際受ける受けないとなると話は違ってくるようで。
「お願い、できますよね?」
こちらを見据える鋭い目つきは、常人であれば簡単に震え上がってしまう程度のものなのだろう。新羅はそれを怖いとは思わなかったけれど、つ、と背中に汗が伝ったような気がして体は正直なものだなぁとまるで他人事のように考察する。
(それなりに修羅場は潜ってきてるつもりだけど、やっぱり本職となっちゃ敵わないよね!)
「それで、横浜のどの辺りで何の仕事をすれば?」
「場所はこちらに。やっていただくのは手術ですよ」
「まぁ医者ですから、治療と手術くらいしかできませんけどね」
もう少し具体的に言えないのだろうかと、四木がスーツの内ポケットから取り出した名刺サイズの紙を受け取りながら考える。それは顔に出していないつもりだったが、四木にはお見通しだったらしい。
「今口にすると少しばかりまずいことがありましてねぇ。まぁ、行けばわかります」
こう言われてしまっては新羅に二の句が継げるはずもないので仕方なく立ち上がる。仕事は迅速に済ませてさっさと帰ってしまいたいと、そう考えながら腰を曲げた。足元に置いてある鞄を持ち、部屋を出る。
話は終わったとばかりに、もう四木は一度もこちらを見ることはなかった。





曇り空の川越街道。
まばらに車が通り抜ける高架の道路をすり抜けるようにしてシューターを走らせるセルティ。エンジン音の代わりに馬の嘶くような音が響くそれは、元はデュラハンの相棒である首なし馬だった。擬態するものを馬からバイクに変えただけで、中身はセルティの使い魔のような存在だった。なのでライトもなければナンバープレートもない。漆黒の車体は光を照らさず、吸い込まれるような色をしていた。
――雨が降りそうだなぁ。
気圧は普段と変わらないような気がするが、空が濃い灰色に包まれている。雨は嫌いではないけれど、水を完全にはじくライダースーツにだらだらと水が流れる感触が苦手だった。しみこむ方がきっと嫌なんだろうけれど、セルティはそれを体験したことがない。
――あ、でも自宅で新羅にもらった服を着てシャワーを浴びれば体験はできるか……。
するつもりもないことを考えながら、セルティは手馴れた仕草で緩いカーブを曲がる。視界をテールランプがちかちかと揺れて、風を切る音が聴覚に届く。そんな風に、人間と同じように感覚を共有しているはずだと思う。新羅と一緒に暮らしていて、味覚以外のことで感覚の齟齬があったことはほとんどない。個人差の範疇のはずだ。それでも、セルティはふとした瞬間に深い不安に駆られることがあった。
――何を考えているのだろうな。
あまり深く考える性質でない分なのか、時折急に思い出してはその意識が離れなくなってしまうような状態になることがあった。私らしくもない、と考えを振り切るように小さく首を横に動かす。
馬の嘶きの声が聞こえた。相棒が心配してくれているようだ、と思うとセルティの心は少しだけ凪いだ。
――そうだ、考えていたって仕方ないだろう。
セルティはあまり気にしないことにし、池袋へ向かう出口にウインカーを示した。

「それではこちらを午後17時にサンシャイン通りの一本南側の道を通りかかる男へ渡して欲しいんです」
ある路地の奥の方。シューターは入れないので近くの道に停めて、セルティは一人でその場所に来た。すでに待っていた帽子を目深にかぶった男の顔ははっきりと見えない。唯一見える口元には無精髭があり、あまり清潔感はあるとはいえなかった。
『分かった。その男はどういう風貌ですか?』
仕事相手ということで丁寧な敬語を駆使してPDAに入力し、それを見せるセルティ。男はそれを帽子のつばの向こうからちらりと上目遣いに見上げて確認した。どうやら折原からセルティは言葉を発さないということを聞いているらしい。
――それとも、最近テレビに映ったりネットで噂になってるらしいから知ってるのかも……?
そう思ったがそれを問いかけることもなく、男は濃い茶色のコートを着て、金髪の男だと言った。金髪、という言葉にぴくりと手が動くが、すぐにあの男は茶色いコートを着ることなどないと思い直す。
――それにやつはそんなところにはあまり来ないだろうし……。
『分かった。報酬はその男から受け取ればいいのか?』
「いいえ、今渡します。少し待ってください」
前払いとは珍しい、と思いつつもたまにあることなので男から受け取った黒いボストンバックを持ち直しながら待つ。すぐにポケットから少し折れ曲がった茶封筒を受け取ったセルティは、その場でその中身を確認した。
相場通りの値段が入っていることに安心し、ライダースーツの前を開けて奥に仕舞う。
ふとそれをじっと見られていたような気がしたが、セルティがそちらを見たとき男はすでに後ろを向いて歩き出してしまっていたので真意を知ることはできなかった。
――変な男だなぁ。まぁ、臨也が持ってくる仕事にまともなものはあんまりないしな。
そんな風に納得をしながらセルティは振り返った。

――しかし17時まで暇だなぁ。
PDA に表示されるデジタル時計を見ると時刻は15時を過ぎたところだった。先ほどのチャットで話していた通り、祭日である今日はどこもかしこも人でごった返している。一本道を外れると閑静なところもあるが、そういうところはあまり柄がよくなかったりするのでどうしたものかなぁ、と思いながら道を流していると、ふと視界の端に見知った人物の姿を見止めてセルティはそちらへウインカーを向けた。
「あ、セルティ、さん」
シューターが発する馬の嘶きの走行音で気づいたようで、肩を叩く前にその人はこちらを振り返った。セルティよりも一回りは小さく、黒髪に眼鏡という真面目な風貌の少女だ。
しかし彼女は身の内に妖刀を宿す、人とは少し外れた位置にいる存在だった。セルティはそういう部分でも、単に彼女がかなりぼんやりとしていることからも、本当に妹のように思っていた。
『杏里ちゃん、久しぶり。買い物中?』
シューターにまたがったまま杏里にPDAを見せる。歩道に近い所に避けているから車の通りを邪魔することはなかった。
「あ、はい。ちょっと、日用品を買いにスーパーまで……」
消え入りそうな声がこちらに届いた。セルティはシューターから降り、杏里が向かっていた方向に歩き出しながらPDAを片手で器用に動かして会話を続ける。
『そうなんだ。ちょっと今暇でさ。一緒に行ってもいい?』
杏里が普段使うスーパーはセルティが知らない店だ。だからいい食材があるかもしれないと思ってそう提案すれば、杏里はセルティの後を追いながらぜひ、と言った。

「お仕事中、ですか?」
スーパーの前にシューターを停めて、運転に支障をきたすために背負っていたボストンバックを腕に落としたセルティに、杏里は珍しいものを持っているような目で見てきた。
だから今運び屋の仕事中であることを伝える。
『うん。これをもう少ししたら届けないといけないんだけど、時間指定だから待ち時間中』
「大変ですね……」
杏里はスーパーのカゴを取りながらそう言った。そして慣れた歩調でスーパーの奥へと向かう。どこへ行くのかと興味深く思いながらついていくと、杏里が向かったのはケーキやお菓子の材料を売っている所だった。
『あれ、ケーキでも作るの?』
時間的にてっきり晩ご飯の用意を買いに来たのかと思っていたけれど、と伝えると杏里は少し困ったようにはにかんだ。
「……竜ヶ峰くんと、明日約束をしていて」
『そうなんだ。それはちょっと野暮なことを聞いちゃったかな』
初々しいカップルは見ているだけで心が和む、とセルティは思う。杏里は見れば分かるほどに頬を赤く染めていて、かわいいなぁという気持ちが自然に沸いて来た。
――でも付き合ってないんだから不思議だ。
杏里は身に妖刀を宿しているということを、帝人はネットの中にある、とある組織のボスであるということをそれぞれ互いに隠していた。その問題は今は姿を見せることがなくなった紀田正臣という共通の友人のことが相まって、こんがらがった糸のようになってしまっている。
セルティはそれを外から見つめていてあまりにももどかしいと思うことがあった。けれど、それをどうにかできるのは自分自身だからと思い、静観をしているのだった。
「あの、セルティさんは……何か作らないんですか?」
『あ、あぁ〜。そうだな。新羅のやつに何か作ってやってもいいかなぁ』
バレンタインには気合を入れてチョコレートを作ることもあるセルティだが、それはほとんどが失敗に終わっている。料理は苦手だった。味覚がないので味付けができないというのが理由の一つ。そして大雑把な性格ゆえに、成功率が極端に低いというのも一つ。
『でも料理、下手だから……新羅に迷惑をかけるかもしれないし』
奇天烈な味のご飯を出しても新羅は喜んで口にすることは何度も経験しているから知っていた。けれど、それは料理が成功しているとは言えない。セルティは美味しいものを新羅に食べてもらいたいのに、新羅は美味しくなくても食べてしまうので置き所が難しいのだ。
「セルティさん。あの、私晩ご飯を食べたら美香さんと一緒にケーキを作る約束をしているんです。それでもしその……よかったら……」
『本当か? ああ、でも何だか悪いな……』
「いえ、私の家で作りますから気兼ねもいりませんし、もしよければ」
消え入りそうな高い声に庇護欲が沸く。そういう風に自分から言い出すこともあまりないのだろう、逆に申し訳ないようにうつむく姿はいじらしかった。セルティは、ポンポン、と杏里の肩を叩く。
『ありがとう。仕事、すぐに終わると思うから行ってもいいかな? じゃあ先に買い物をして杏里ちゃんの家まで食材運ぶよ』

二人で買い物を済ませ、杏里をシューターの後ろに乗せた。そして影で作り出した側車にボストンバックとスーパーの白いビニール袋を入れて、杏里の家まで送り届ける。
『終わったら一応連絡入れるね』
「はい、お仕事がんばってください」
小さく手を振った杏里に手を振り返し、側車を消してボストンバックは再び背負った。少し飛ばせば余裕で間に合う時間だ。PDAを仕舞ってシューターを走らせる。年末が近くパトカーや覆面パトカーがよく巡回しているから、それを避けて何度か曲がりながら道を進ませると、ほどなく目的のサンシャイン通りに出る。南側へ一本向こうというと、60階通りとの間の小さな道だった。そこはどちらの名のついた道とは異なるせいか、人気はあまりなかった。ビルとビルの裏口が向かい合っているせいもあるかもしれない、と思いながらセルティは辺りを見回す。道の入り口と出口に街灯はあれども、もう辺りはすっかり暗くなっている。結局雨は降らなかったなぁ、なんて考えながらシューターにまたがったままゆっくりと奥へと進んでいくと。
「お前が運び屋か?」
背後から声が聞こえた。気配で察知していたセルティは驚くこともなく振り返る。暗くて分かりづらいが茶色のコートを着ていた。金髪は知り合いのそれとはずいぶんと違い、色褪せたような色で一瞬判断に迷ったが、運び屋という単語を出してきたので間違いないだろうと納得した。
『ああ。これを渡すように言われている』
「確かに受け取った」
背から外したボストンバックを渡すと、男はその場で中身を確認する。そしてどうやらそれは間違いないようで、すぐに人目を避けるように去っていった。
――思ったよりあっさり終わったな。
臨也のやつが持ってくる仕事と言えばやっかいなものと相場が決まっているのに、なんて考えつつPDAを取り出す。そして臨也に仕事を完了したというメールを送信した。
――あれ、メールが……。
そのメールを送信している時、ふと見下ろしたPDAの下部分にあるアイコンにメール受信を知らせるマークがついていた。杏里と買い物をしていた時に来たのだろうかと思いながらそのメールを開く。
――あ、新羅だ……。ん、何だ、続けざまに仕事なんて大変だな……。
新羅から仕事で横浜に行くことになったというメールが届いていた。帰るのは夜遅くなりそうという残念そうな文字に笑みがこみ上げるような感覚になった。半分くらいセルティへの愛が長々と綴られている長いメール文にシンプルすぎると嘆かれる返信を返し、袖の中にしまい込む。
――新羅が夜遅いなら、杏里ちゃんのところでゆっくりケーキを作れるな。
少し楽しくなってきた気持ちをぐっと押さえ込みながら、シューターの機体をなぞる。セルティの気持ちに同調するように嬉しそうな鳴き声を上げるシューターに気を良くして、セルティは杏里の家へと再びバイクを走らせるのだった。

「こんばんは」
インターフォンを押してすぐに扉が開いた。中から出てきたのは美香だった。杏里は今奮闘しているところです、と朗らかに笑う顔。それはセルティに取ってあまりにも複雑な感情を抱かせる。
その顔は今は恋人である新羅が、セルティの顔そっくりに整形したものだからだ。首には丁寧に切断したあとに無理矢理縫い合わせたような跡まである。その丁寧な仕事振りに一発殴るだけでは済まされないような複雑な気持ちがセルティにはあった。
――まぁ結局一発で許しちゃったんだけど。
美香に案内されるままに杏里の部屋に上がりこむ。そういえば杏里の家に来ることはあまりないから珍しい気分だった。小さな六畳間に、小さなキッチンに風呂やトイレがあるのだろう二つの扉と、最低限の生活スペースしかない部屋。しかし物があまりないからかそんなに手狭には感じなかった。
「セルティさんすみません……」
『ああいいよ、何か大変そうだね?』
杏里の家に向かうメールを打つ時に先にはじめてくれていいから、という一文を加えていたからか、美香によるケーキ作り講座はすでに始まっているようだ。杏里はなにやら必死に白い粉を振るっていた。頬や手に白い粉がついていて、幼気な様子にほほえましい気持ちを抱く。
「じゃあセルティさんも始めましょうか。あ、エプロン余分に持ってきたんでどうぞ」
隙のない少女は持参したらしいエプロンをこちらに持ってきた。その美香は胸元に『誠二ラブ』と臆面もなく刺繍されたエプロンをつけている。もしかしてこれもそうか? と少し不安になって広げてみると、心配は杞憂なようで無地のシンプルなエプロンだった。
「あ、もしかしてこれにも誠二ラブって書いてるって心配しました? ふふ、私が他の方に誠二ラブって言葉を背負わせるわけないじゃないですかー」
うふふ、と小さな花のようにかわいらしく笑う美香。セルティには目の奥が深い色をしているその笑みがなんだか怖いような気がして、けれど気にしないことにして曖昧なリアクションをした。美香はそれに笑いながら銀のボウルを差し出す。
「セルティさんはチョコケーキですよね。じゃあとりあえずチョコレートを刻んでこの中に入れましょうか」
料理を作るのにPDAを使うのは衛生上の問題があると以前知ったので、セルティはその言葉に首を傾けて頷く。美香もそれは分かっているのでストレスはなかった。杏里とセルティ、二人の先生役を器用にこなしながら自分のものも作っているようだった。
――すごいなぁ、見習うとかそれ以前の問題だ。
要領がいいのか手先が器用なのか……。そんなことを考えつつまな板と包丁を借りて製菓用のチョコレートを小さく刻む。杏里の家の包丁は家のものよりもほんの少し切れ味が悪いようで、包丁の背に手を乗せぐっと力を入れて堅いチョコレートを小さくしていく。
手際の悪い生徒二人を抱えた料理教室はそれでもなんとか数時間でそれぞれの生地が形になり、小さなオーブンで一つずつケーキを形にしていく。
その間美香と杏里は六畳間の方に移動してお茶を飲み、セルティもそちらに行って近くに座った。
低く唸るオーブンの音と共に、段々甘い匂いが辺りに広がっていく。鼻腔をくすぐるその香りに、お腹が空くという感覚がないセルティにも、なんとなくその気持ちが分かるような気さえした。
他愛ない話をする杏里と美香をぼんやりと眺める。彼女らは共通の話題である学校のことを話しているようだった。あの授業はどうだったとか、冬休みの宿題の進捗だとか、セルティにはあまりにもなじみのない話題。
――いや、そうでもないか。
新羅が学生だった頃、そういう話はよく聞いていた。聞いていた、というよりは新羅がただただ一方的に話しているのを聞き流しているような状態だったけれど。
――なんだか懐かしいな。
あの頃とはずいぶんと違うけれど、とセルティは考えながらそっと膝を抱えたのだった。

ケーキを完成させ、杏里のアパートを出たセルティは、美香を家の近くまで送り届けた。この辺りでいい、という美香を路肩で下ろす。
『じゃあ、ありがとう。またお礼させて』
「いいえ、そんな。楽しかったんで気にしないでください」
手を振る美香を尻目にセルティはシューターを走らせた。多分家の正確な場所は知らせるつもりはないようだけれど、一癖も二癖もある少女の考えていることを否定するつもりもないのでセルティは何も言うことはなくその場を後にしたのだ。
――美香ちゃんも首のことを知っているようだからなぁ……。
詳しいことは何も分からないけれど、とセルティは考える。けれど、好きな男のためにためらいもなく整形を受け入れるそれはきっと異常な類に入るのだろうと思った。セルティの周りには異常な人間の方が多いので麻痺してしまいがちだけれど。
――ともかく早く帰って新羅にこれをあげよう!
手に持っている白い箱の中には美香に教えてもらったお陰で我ながら上出来と思える仕上がりになったケーキが入っている。きっと新羅は手放しで喜んでくれるだろう。それを想像するだけで何だか嬉しくて胸がぎゅっとなるような気がする。
――実際には動いてないけど、な……って、――え?
ぼんやりと考え事をしながらシューターを走らせていたせいで、一瞬の違和感に気づけなかった。深夜に近いとはいえ車通りの多い道。車はすり抜けるようにしてセルティのバイクを追い越していた。そのうちの一台。左よりで走っていた大型トラック。
その、荷台から零れていた紐なのだろうか。それともその荷台にくくりつけるためのとっかかりなのか。
暗くて何かは分からなかった。けれど分かるのは、先ほどまでセルティの手元にあった白い箱が、いつの間にか斜め前を走るトラックの荷台に引っかかって、ふらふらと揺れていることだった。
――!!!!!!!???????
一瞬意味が分からず、手元とトラックを見比べる。しかし何度見ても手に箱はなく、視線の先にそれはあった。暗闇に揺れる白い箱。それは手を伸ばしてももう届かない場所にある。
――あああっぁぁぁっ!!!! ケーキがっ!!!
そして数秒後、ようやく現実を実感したセルティは、声にならない声で叫んだのだった。





「セールティーー! ただいまー! 帰ったよー!!」
扉を開けるなり大声を上げる新羅は、疲れすぎているせいかいつも以上にテンションが高かった。
横浜へ出張を余儀なくされた新羅は準備もそこそこにタクシーに詰め込まれ、そのままどこか分からない雑居ビルに案内された。そこには十数人の患者。どうやら所謂ドンパチがあったらしく、この界隈の闇医者は全て借り出され、残った人たちが呻くような声を上げていたのだ。
重症と思われる患者をピックアップして優先的に治療をしていた新羅だが、終わりの見えない長い手術や治療にただでさえ少ない体力は根こそぎ奪わた。
しかしそれでも何とか全てを終わらせた。そして満身創痍のまま、それでもセルティに会えるという気持ちだけで何とか帰路についたのだ。
「セルティただいまー! って、あれ?」
しかしリビングも脱衣所もセルティの部屋も、電気はついていなかった。念のため自分の寝室も覗いてみるけれど同じで。
「あれーセルティ仕事かなぁ?」
白衣のポケットから携帯電話を取り出しながらあちこちの電気をつけていく。最後にエアコンのスイッチを入れてから、ドサリと音を立ててソファに腰掛けた。
「メールの着信はなしと」
念のため問い合わせもしてみるが新たなメールの受信はなかった。ふむ、と携帯電話の画面を一度見た後、新羅は新規メール画面を呼び出し、手短に文字を打ち込む。
「い、ま、どこにいるの、仕事? っと」
口に出した言葉と同じ文字をセルティに送信し、ずず、と腰を滑らせてソファの背凭れに背を沈み込ませる。
「それにしても疲れたよ今日は……。なんでったってこんな日にドンパチなんてするかなぁ」
三連休の初日であり、聖夜の前日である今日だ。本当ならばそんな血なまぐさいことをするより、家族サービスをするなり恋人と過ごすなりするべきなのだ。
「僕はもっと愛に生きたいよ……」
セルティが聞いたらこれ以上か? とあきれ返るような言葉を口にしながらセルティの返信を待っていると、数分後、ようやく握り締めた携帯電話が小さく震えた。
「あっセルティ!! んっ何々『すまない、仕事中だ』? ……うーん? 何か、怪しいような……」
仕事中ならばセルティはメールへのレスをしないことが多い。その代わり夜遅くなる仕事に行く時は、その前に連絡をすることが大多数だったからだ。違和感を覚えるメール内容に新羅は画面を見つめながら首をかしげる。そしてメールが簡潔であるがゆえに半分以上が白い画面を見つめていると、ふと、閃いて目をハッと見開いた。
「もしかして明日はクリスマス・イブだし、僕になにかサプライズをしている準備中……とか!? ハッ、そうに違いない、全くセルティってばかわいくて美人で素敵で、まさに純情可憐! 閉月羞花!! 素晴らしいよセルティーーーー!!!」
セルティだけでなく誰が聞いても顔をしかめて呆れるようなことを新羅はだらだらと口から零しながら、それならば、と携帯電話を持ち直してアドレス帳を検索する。
そしてある名前をプッシュし、うきうきとした気持ちで電話をかけるのだった。





――と、とりあえず追いかけないと……!!
トラックに大事な手作りケーキを引っ掛けてしまったセルティは、ようやく我に返ってそれを追いかけようとシューターのハンドルをぎゅっと握り締める。しかしいざ走り出そうとしたその瞬間、腕のところで携帯電話が勢い良く震えて出鼻をくじかれる。
――もう、こんなときに誰だ、って、えええっそっちは……!
大通りをまっすぐはしるトラックは、明らかに高速道路の入り口に向かっていた。車線を変更し小さな坂を上っていくのが視界に入って、絶望的な気持ちになる。恐らく仕事でこれから地方へ向かうのだと容易に想像ができて、セルティは思わず影を伸ばしてそのトラックのナンバープレートの辺りにその先をくっつけた。
――とりあえずこれで見失うことはないな……。
一瞬心を落ち着かせてセルティはメールを見る。新羅からだった。もう新羅が帰るような時間なのかと驚く。
――しかしどうしよう、今帰る訳にもいかないし……。
新羅よりも帰りが遅くなりそうな仕事の前には連絡するようにする習慣がついていたけれど、今日の仕事は夕方までには終わったわけだから言っていなかった。そしてその後のことは、新羅に伝えるのはどうにも気恥ずかしい。
とりあえず無難に仕事中だと嘘をつくことしかできなかった。トラブルに巻き込まれてると言えば絶対に心配した新羅からの電話が来るだろうし、それを説明している余裕は今のセルティにはなかった。モールス信号のような、指で電話を叩く音で伝え合うお互いの暗号のようなものはあったけれど、それでもこの複雑な状況は短時間で全て伝えることなんかできない。
――それに何より恥ずかしいし……。ごめん新羅、絶対あれを取り返して帰るから……!!
セルティはそう考えながら気合を入れ、シューターを走らせる。向かうのは高速道路。影を追ってスピードを制限速度以上にして走れば、程なくそのトラックを見つけることができた。
――うーん、どうやって引っかかってるか分からないから影で無理矢理外すことは出来なそうだなぁ……。
加減が効かずにぐしゃりとケーキを潰してしまっては元も子もない。セルティはそう判断して、トラックがパーキングで止まるのを待ちながら追いかけるしかないと考える。
――早めに休憩してくれるといいなぁ……。
しかしそんなセルティの考えもむなしく、やたらと元気な運転手はそれから数時間以上、トラックを止めることはなかったのだった。





――つ、疲れた……っ。
ガタン、と大きな音を立てて扉を開いたセルティ。結局隣県まで行ってしまって、帰り着けばもう朝になってしまっていた。

パーキングでトラックを止めた運転手が車を降りるまで辛抱強く待ったセルティは、明け方近くになってようやくトラックからケーキを取り戻した。外に晒されたままだったが形崩れはなく、ほっと安心してそれを抱きしめる。
――よかった。
そして今度はどこにも引っかからないように後部座席の上に作り出した影の箱の中に入れ、ようやく東京へと帰ってきた。途中からチュンチュンと雀が鳴き始めたのは聞かなかったことにしたいくらいに疲れてしまい、自宅に帰り着いてとりあえず風呂場に駆け込む。
冷えすぎてアイスのようになっている体をシャワーで温める。セルティの中に体温はないけれど、外気に影響されて多少の冷たい、温いという変化はあるのだ。そして今は、風付きの冷蔵庫のような外にずっといたせいで凍るように冷たい。シャワーの熱でそれを溶かしながら、そういえば新羅が来ないなとふと考える。
――まだ寝ているのだろうか。
とは言え普段ならもう起きている時間である。不思議に思って首をかしげながらシャワーのコックをひねる。シン、と静まり返る生活音のしない部屋にほんの少しだけ寂しい気持ちになる。
――新羅、もしかして出かけたのかな……。
まだ眠っているだけだということを祈りつつ寝室を覗くけれどそこに新羅の姿はない。そして落胆の気持ちを少なからず抱えながらリビングの扉を潜ると、そこにもやはり新羅の姿はなかった。
どこに行ったのだろうと辺りを見回すと、ダイニングテーブルの上に小さな紙が置かれているのが視界に入った。それを慌てて取り上げると、そこに書かれている文字は間違いなく新羅の筆跡で少し安心する。
『愛するセルティへ。ちょっと用事があるから出かけてくるね、昼までには戻るよ』
珍しく簡潔に記されているその伝言は、いつ書かれたものなのだろうか。分からなかったけれど、とりあえず一安心すると、猛烈な眠気がセルティを襲ってきた。
――トラック追いかけて一晩中だもんなぁ。ちょっと寝よう……。
両肩にかけていた白いタオルをイスの背にかけながらセルティは小さく伸びをした。そして自室に入って布団を敷き、カーテンをしっかり閉めて眠りについたのだった。

――なんだ……、うるさ、い……。
落ちるように眠りに落ちて数時間も経っていないんじゃないだろうか。枕元で震えている携帯電話を無意識に手で探りながらセルティはうつぶせに寝返りを打つ。そして枕に肩を乗せて腹ばいのまま携帯電話を手に取る。スライドさせるとメールを受信したようだった。送信相手は狩沢絵理華。池袋によく出没する、ダラーズのメンバーであり新羅の同窓生である門田の友人だった。
――まだ3時間しか寝てない……。
そう思いつつも狩沢がメールをしてくることは珍しいので何かあったのでは、とセルティはメール画面を開く。するとそこには目に痛いほどのカラフルな絵文字と、動くデコレーション絵文字で埋め尽くされて一瞬うっと退いてしまう。
どうにかそれらを見ないようにして黒い文字を見れば、助けて欲しい、という趣旨の言葉が書かれていた。
――うう、もうちょっと寝たい……けど……。
仕方ない、と首を横に振って立ち上がる。幸い寝起きは悪い方ではないので少し体を動かせばさっぱりと意識を覚ますことができた。
影で作っていたパジャマを一瞬でライダースーツに替え、ヘルメットと携帯を両手に持ってセルティは部屋を飛び出す。リビングの扉はセルティが開けたときと同じ角度のままだった。新羅はまだ帰ってないのだろう、と考えながら家を飛び出したのだった。

「セルっち、ほんとごめんねー突然! 人手が足りなくってさぁ……」
指定された場所は池袋のあるケーキ屋だった。そこは人気店なのか、店の外にあぶれるくらいに人の列ができていた。
裏口をノックすると迎え入れられ、中にいた狩沢は黒いビロードのワンピースを着ていた。そのスカートや袖の裾には白いふわふわとしたファーがあしらわれて、かなりかわいらしい。どうやらサンタ服らしい。頭には同じ色のサンタ帽をかぶっていた。
裏口から見える店内は目に見えて混雑していた。そこで働く女の子は皆、赤や黒のサンタ服を着ているようだった。
「ここ友達の店なんだけど、何か最近テレビで紹介されてすごい人気なんだって。で、普段からクリスマスは忙しいんだけど、予想以上の盛況でさぁ」
狩沢は面食らっているセルティにそう説明をしながら何やら忙しそうに手を動かしている。濃い赤で染まっている直方体の箱を組み立て、横に置いてあるケーキをその中に入れて蓋を閉じ、引き出しをあけてその中から取り出したリボンで飾り付けをしているようだ。その箱やリボンはかなり渋めの色をしていて、飾りもシンプルだがかなり洗練されたデザインでセルティは目を奪われた。
「きれいでしょー。オシャレかわいいって若い女の子にすごい人気なんだよー。ケーキもおいしいしね、でセルっちにお願い!! この店宅配もやってるんだけど、その人手が足りないんだ! お客さんの家に持って行って渡すだけだから、お願いできるかなっ!?」
『それは……私は構わないけれど、その……お客さんがびっくりするんじゃないか?』
フルフェイスのヘルメットを脱ぐことができないセルティは、出てきた客に吃驚されることは請け合いだろう。しかし狩沢はそのことは想定済みなのか、頼もしい笑顔で微笑んで大丈夫、と言った。
「持って行く場所ではみんなパーティーしてるから。テンション上がってるから大丈夫だよ〜。それにメモもちゃんとつけるから、これ見せるだけでOK!」
受け取ったメモには商品の金額と、サインをする欄が設けてある。それを箱に貼り付けた狩沢はいけるいける、と軽いノリで笑う。
「それで、ここ衣装決まってるんだ。これ、はい。あそこに更衣室あるから着替えてきてね〜!」
そう言いながら押し付けるように渡された袋をセルティは反射的に受け取った。ここまで来るともう諦めるより他ないらしい。乗りかかった船だ、とセルティは決意して更衣室に向かったのだった。

着替えを終えたセルティは店長に申し訳ないと頭を下げられて恐縮しつつも、忙しそうな彼女らを見ると何かしてやりたいとい気持ちが膨らんでいた。
「あーセルっちかわいい!! あ、でもこのままじゃ寒くない?」
店長が仕事に戻った所を見計らうかのように狩沢が現れ、そう言って手放しで褒めてくれる。市販のものではなく狩沢のコスプレ仲間である店長がこだわりを持って発注したオリジナルデザインのサンタ服は、確かにそのまま出かけても可愛らしいくらいには洗練されたデザインだった。こういうのが流行る秘訣なんだろうか、なんて少し現実逃避気味に考えたセルティは、問題ないと小さく首を振る。
『私は寒さを感じないから大丈夫だよ』
「あぁそっか。それは便利だね。ちょっと赤だから目立つかもだけどセルっちに合うサイズがこれしかなかったからガマンしてね」
そう言いながらラッピング用の造花をいくつか束ねたものをセルティのヘルメットに飾り付ける狩沢に内心苦笑する気持ちが浮かび上がる。
「よしおっけい。かわいいよセルっち! イブにほんとごめんね埋め合わせはするから! とりあえずこれ4件お願い! 終わったらまたあるから!」
大きなボックスに入れられたケーキを受け取り、セルはこくりとヘルメットを前に揺らした。

地図がなくても大体の場所は把握している分、配達はスムーズに済みそうだった。問題と言えば黒バイクが赤いサンタ服を着て池袋の街を走っているものだから、やたらと携帯を向けられることだろうか。ケーキを入れている箱が白いのももう一つの原因かもしれない。側車を影で作り出してそこに入れているだけなのだが、遠めに見ると黒いバイクに乗ったサンタクロースにしか見えないらしい。
『サンタ!?』と『黒バイク!?』というどちらかの声が聴覚に飛び込んでくる。携帯電話を向けてくる人には出来る限り影を飛ばしているが、仕事優先であるために全てには対応できていないだろう。
数件の配達をこなしては店に戻り、また配達をするというサイクルを繰り返していると、段々と日が傾いてくる。食事休憩が必要ないセルティはほとんど休みなしで働いていたけれど、疲れはそこまで溜まっていない。
――けど、せっかくのクリスマスに何やってるんだろうという気持ちもなくはないな……。
何となく釈然としない気持ちを抱えつつも、困ったような狩沢や店の人忙しそうな姿を見てしまっては途中でやめることもできなかった。セルティは新羅ともう一日以上会ってないことに、切ない気持ちになる。
――恋人になってからはじめてのクリスマスって訳ではないけどな……。
それでも特別な気持ちにはなるのだ。今回はそういう話を特にしていなかったけれど、そもそもそれをする前に全然会えなくなってしまったのだから仕方ない。
――せめて今日中にケーキ、渡せたらいいな……。
配達用の白い箱の中にドライアイスと一緒に入れさせてもらっているケーキの存在を思い返してセルティは心の中で嘆息する。
――新羅、今どこにいるんだろうな……って、あれ?
新羅の事を考えていたから幻覚でも見たのか、ふと顔を上げた瞬間に道を曲がったタクシーの中に乗っていた人の横顔が新羅に見えてしまった。全く、と自分をたしなめてセルティは気合を入れる。
――もうちょっとで終わるはずだから、がんばろう……!
空は段々と宵闇を運んできている。学生をメインに構成されている夜のバイトと入れ替わりに仕事を終了できると聞いているから、後もう少しがんばろうとセルティは思ったのだった。





「ただいまー! セルティー! って、あれなんかこれデジャヴ?」
玄関の扉を開けながら新羅はそんな風に呟いた。結局朝まで戻らなかったセルティを心配しつつも仕事の片づけを済ませるために置手紙を残して朝でかけた新羅。手紙に記したとおり昼には帰宅したのだが、そこにセルティの姿はない。
「まだ帰ってきてないのかなぁ……心配だよセルティ……。ん、あれっ?」
廊下を歩いていると違和感を覚えて立ち止まる。リビングの扉はしっかりと閉めて出かけたはずだが、今はほんの少し開いている。セルティはたまにうっかり閉め忘れることがあって、だから新羅は何も疑わずにテンションを上げた。
「あれっセルティもしかして帰ってきてる? 疲れてこっちに出て来れないとか?? セルティーーー!! ただいま帰ったよーーー! ……って、いない……」
ハイテンションに叫んだ前半と、リビングに入って誰もいないことを確認した後の後半の落差に自分で落ち込む。ずるずるとしゃがみこみ、セルティィ、と悲痛な声を唇から漏らした。
「ん、あれっでも……」
メモの位置が置いたときからずれているのと、イスの背にタオルがかかっているのが目に入り、新羅は立ち上がる。それを見る限りセルティは帰宅しているようだった。もしかして朝に帰ってきて疲れて寝ている? と普通に考えれば真っ先に出てきそうな答えに思い当たってセルティの部屋の扉をそっと開けた。
「あれ、いない……」
しかしその部屋には置きぬけの布団が敷いたままになっていることから、一旦帰宅したのは間違いないようだった。
「入れ違いになっちゃったみたいだね……。セルティともう丸一日は会ってない気がする。やばい、セルティ欠乏症だ……」
そんなことを真剣な顔で呟きながら、いないならば探しに行けばいい! という思考にいたるまではすぐだった。
「よし、きっとセルティは池袋にいるだろうし、確信はないけど! 僕も池袋に行けば会えるよねっ!」
白衣の上に着ていた裾の長いコートを羽織り、新羅は意気揚々と家を飛び出したのだった。

「うーん。セルティに出会えない……」
クリスマスイブの池袋は人でごった返していた。その半数以上はカップル同士のようで、流石の新羅にも一抹の寂しさが胸に浮かんで息苦しい気持ちになる。
サンシャイン通りを人の波に飲み込まれたままゆっくりと歩いていると、がやがやとした声たちが耳にささって頭痛がしてくる気がする。
「あ、静雄!」
そんな中、ふと見上げた人ごみの中に、目立つ金色の髪を見つけた。背が高いお陰で人ごみから一つ抜け出しているのですぐに分かった。
曲がり角をこちらに向かってくる静雄に片手を上げると、すぐに気づいたらしい。いつもと同じバーテン服を着て、横には茶色のドレッドの男がいた。
「やあ静雄、もしかして仕事中かい?」
「あぁ、そうだけど。テメェは何してんだ?」
ドレッドの男に会釈をしつつ静雄に近づいた新羅は、そう軽快な声を上げた。正反対にいつも不機嫌そうな声音の静雄は、新羅を見下ろしながらそう質問で返した。
「僕はセルティを探してる」
「いなくなったのか?」
「いや? 仕事が長引いてたみたいなんだけど。朝僕が出かけてる時に帰ってきて、そのまままた出て行っちゃったみたいなんだよねぇ」
微妙な所なんだけど、と新羅は呟く。セルティからの連絡は今のところ昨日の夜の仕事中、以来なかったから、心配といえば心配だった。しかしそれを静雄に言えばきっとブチ切れて心配してくれるだろう。そうすると事が大きくなりそうだから、その辺は曖昧に誤魔化すことにする。
(それに、本当に仕事かわかんないし。もし僕へのサプライズだったとしたらあんまり大事にするとセルティが恥ずかしくなっちゃうもんね)
「ふぅん。まぁがんばれや」
適当に言葉を発した静雄に内心苦笑しつつ、君もね、と言って別れる。静雄はこんな日にも取り立てが立て込んでいるらしいので、本当にお疲れ様ですという感じだ。
(あぁ、でもクリスマスイブに静雄に取り立てられる客が可哀想だよねぇ)
いらないトラウマを植えつけられそうだ、なんて考えながら新羅は静雄が来た曲がり角を進んだ。

ふらふらと歩いていればセルティに遭遇できるかと思っての行動だったのだが、出会うのはセルティ以外の人ばかりだった。
少し疲れて入ったラーメン屋で門田に遭遇した。こんな日にも仕事であるらしい二人目の男は昼休憩中とのことだ。
「そういえば狩沢が何かコスプレしてるらしくてな」
「彼女がコスプレしてるのなんていつもじゃないのかい?」
「いや、今回は普通のやつだ。普通のサンタとかの」
「なるほど」
門田の隣でラーメンをすすりながらそんな他愛もない会話をする。学生はともかく社会人はイブといえど休みの方が珍しいのか、と考えながら店の前で門田に手を振り、また池袋を歩く。少し進むと学生が多く住む古いアパートが並んでいる場所に出た。来良学園が近くにあるなぁ、とぼんやり考えていたら『岸谷先生?』という言葉が耳に入った。
「あれ杏里ちゃん。おうちこの辺?」
「あ、はい。こんにちは」
「うん、こんにちは」
斜め向こうの道を歩いていたのは杏里だった。今日は知り合いに遭遇する日だなぁと考えながら、新羅は道を渡って杏里の方へ近づく。
「ねぇ君、セルティと会ったりした?」
「えっ、えっと、昨日少し……」
「ああそうか。あ、それ以上言わなくていいよ、女の子同士のことに口を出すほど野暮じゃないからね」
なんとなくピンときった新羅は緩み始める頬を止められず、ついニヤニヤとしてしまう。
(やっぱりセルティは僕にサプライズをしてくれるつもりなんだ……!)
つい嬉しくなって小躍りしてしまいそうな気持ちを抑えながら、杏里を見た。杏里は手に小さな紙袋を持っていて、きっとこれから出かけるのだろうと悟った。
「これからデート?」
「えっ、そ、そんな、……えっと、出かけるのはそうですけど、デートとかじゃ、そんな……」
「そんなに照れなくても。帝人君だろ?」
「……はい」
起伏の少ない口調だが、少なからず照れていることがわかって新羅はほほえましい気持ちになった。
「いいねぇ楽しそうで。僕はセルティと丸一日は会ってないから、少し寂しいよ……。お互い仕事がすれ違っちゃってさー」
「そうなんですか、大変ですね……。あ、あのそうだ! 岸谷先生。これ、あげます」
「何?」
「さっき貰ったんです。そこの花屋さんが開店セールらしいです」
花束が10%OFFになるクーポン券だった。花を買う予定はないので、という杏里は待ち合わせ時間が近いのか会釈をして去って言った。
「ありがとう杏里ちゃん!!」
新羅はその背に声をかけながらぎゅっとその紙を握り締めたのだった。

花屋で杏里に貰ったクーポン券を使った新羅は、外から見えないように可愛いデザインの施された赤い紙袋に入れられた、小さな鉢植えの花を持って再び来良学園の方へ向かう。そしてその途中また見知った人物を見かけて目を見開いた。
「あれ、帝人くん?」
家で鍋パーティーを開いたときに会って以来だから少し記憶が怪しい所があったけれど、持っている携帯電話に見覚えがあった。さっき杏里と会ったけれど遅刻中なのか? と思いながら声をかける。待ち合わせがあるはずなのに、帝人は少しも急いだ様子はなかった。
(杏里ちゃんは待ち合わせにすごく早く行くタイプなのかな)
そう結論付けながらこちらに気づいた帝人は少し焦ったような顔をしたから疑問に思った。
もしかして顔忘れられてるのかなあ、と考えながら近づくと『岸谷先生』と、杏里と同じ呼び方をされたから安心する。
「やぁ、どうしたのそんな顔して?」
「あ、今ちょっと不可解な画像を見かけた時にちょうどいらっしゃったので。びっくりして……」
そう慌てつつも付け加えるようにこんにちは、と言う礼儀正しさに笑みを零す。そして何々、と帝人が持っている携帯電話に顔を覗かせた。ちょうど、ということは新羅に関係することなのだろう。
「ん、何これ……? え、セルティ!?」
「やっぱりこれセルティさんですよね。ダラーズの池袋情報の掲示板で今拾ったんです」
携帯に映されている画像は遠目の上に少しブレていて、かなり分かりづらかったが黒いバイクと黄色と青のヘルメットは間違いなくセルティの特徴だ。しかし。
「赤い服に白い袋……?」
まるでサンタのようなその姿に新羅はただただ首をひねる。どうやら赤い衣装をつけているらしいのだが詳細は画質の前に完全にひれ伏していた。これでセルティと分かるのがすごい、というレベルだ。
「アップした人も半信半疑みたいですね、でも噂ではかなり流れてるんですよ、赤い服着て白い箱? とか袋? を持った黒バイクがいるって」
「何か仕事中なのかなぁ……。実は一日くらいすれ違いでさ」
「そうなんですか……」
帝人は心配そうな顔をしたけれど、新羅は楽観的に考えていた。きっと優しいセルティのことだから誰かが困っていてそれを助けているに違いないと、確信を持っていた。
「まぁその内会えると思うから大丈夫だよ」
「そうですか」
心配そうな顔のまま、それでも帝人は待ち合わせがあると言って杏里が歩いていった道を少し早足で通って行ってしまった。新羅はほんの少しのモヤモヤとした気持ちを打ち消すように携帯を取り出し、電話をする。
「ああ臨也? 今どうせ暇なんだろう、そっち行くからいてよね」
そして道を走る空車のタクシーを捕まえながら、繋がった電話の相手にそう一方的に告げたのだった。

「いきなりいろとか言ってずいぶん待たせたね新羅」
新宿に行くまでに少し渋滞に捕まり思ったよりも時間がかかって臨也の事務所に到着した新羅は、ついた途端そんな言葉を投げかけられる。臨也はいつもの定位置であるデスクに座ってパソコンの画面を見ていて、どう見ても暇そうだった。
「あぁ渋滞に捕まったんだよ。そんなことより聞きたいことがあるんだけど」
「運び屋の居場所なら2枚だよ」
「話が早いね。でもそうじゃないんだよ。セルティは自力で探すから」
「ふぅん?」
片眉を器用に吊り上げながら臨也はそう言ってやっとこちらに顔を上げた。お茶くらい出してくれないのかな、と伝えると面倒そうに顔をしかめられた。
「今日秘書が休みだから諦めて」
「ああそう。それで聞きたいことはこのメモの通りなんだけど」
そう言ってタクシーの中で箇条書きにまとめたメモを手渡す。
臨也はそれに目を通すと、明らかに笑いを堪えるような顔をした。





店と街と客先の家との何度かもう分からない往復をしていると、気づけばとっぷりと日が暮れて夜になってしまっていた。
――これで箱の中は最後だけれど……。店に戻るとまだあるのかな……。
最初は一度に4個だったけれど、そのうち段々忙しさが増して行き、晩ご飯時やそれが終わる頃にはピークになったケーキの数は側車からはみ出してしまうほどに膨らんでいた。しかし楽しみにしている人がいるんだと思うとがんばるしかない、とセルティは気合でシューターを走らせた。
――走行距離のメーターついてたら、昨日の分とあわせて凄いことになってそうだな。
シューターも疲れているだろう、とその車体を撫でながら店に戻る道を走っていた。その時、道の端に見覚えのある姿を目にして反射的に急ブレーキをかけた。
「セルティ!!!!」
声はセルティが発せない分も向こうから聞こえたような気がした。夢かと思うくらい唐突に、目の前に新羅がその姿を現していた。ずっと外にいたのか頬や鼻の頭が真っ赤になっていて、分厚い紺色のコートや柔らかい白のマフラーは意味をなしていないようだ。
「せ、セルティ!! ああ、本物だ。こんな所にいたんだね、やっと見つけたよ……!」
その言葉で新羅がずっと自分を探していたことを知る。もしかすると夕方見た幻覚は本物の新羅だったのかもしれない。そんなことが頭をよぎりつつつも、嬉しくてセルティはシューターから降りて歩道へと小走りで駆けていく。
――新羅!!
そしてぎゅ、とその体に抱きついた。コートは驚くくらいひんやりとしていて、一体どれくらい外にいたんだと心配になった。
『お前ずっと外にいたのか?』
PDAを取り出して打ち込むが、新羅は何も答えてはくれなかった。ただぎゅっと強く抱きしめ返してくれて、セルティは何だか嬉しい気持ちになる。新羅は自分が巻いていたマフラーを取り外し、セルティの首にそっと巻いてくれる。
「あ、セルティ。お仕事終わったの?」
『そうだ。手持ちは終わったんだけど、まだ続きがあるかはわかんないんだ、店に戻らないと……』
画面を覗き込む新羅に途中まで文字を打って伝えた所でメールが受信する。相手は狩沢で、ケーキが完売したことの知らせだった。
写真付きで、店員がみんな嬉しそうに笑っている姿が添付されている。
「一旦戻っておいで、って書いてるね。僕も一緒に連れてってよ。その後、一緒に行きたいところがあるんだ」
『? 分かった』
新羅の言葉に頷きつつ、シューターに乗る。後部座席にまたがる新羅を待ってから発進させ、風にはためくマフラーがどこかに引っかからないか心配している間に店の裏口についた。扉をあけるとどうやら完売記念の宴会中らしく、楽しそうな笑い声が響いている。
「あっセルっちお帰りお疲れ様ーー!!」
仕事を終えた達成感でかいつも以上にテンションが上がっている狩沢がセルティにぎゅっと抱きついてきて、セルティは慌てながらもPDAに実は新羅が待っている、ということを伝える。
「あぁこれからデートかー! そうだよね、イブだもんねー! あ、ならさ、その服着ときなよ! 明日クリーニングに出すって言ってたから明日持って着てくれたらいいよ」
狩沢はいい事を思いついた、とキラキラした顔をして、店長に了承を取りに行く。そしてものの数秒で了解を貰って戻ってきた。セルティは悪いと思いながらも何だか嬉しくて、こくこくとヘルメットを揺らした。
そして客から貰った代金と白い箱を狩沢に渡す。
「あれ、中に何か入ってるよセルっち」
『あっ! そうだ、忘れてた』
「あぁ、岸谷先生へのプレゼントだね把握しましたー! さすが池袋一のカップルだねー。素敵だよ! あ、そうだ袋あげるよ〜まぁ私のじゃないけどー」
狩沢はそう言って店用の深い緑色の紙袋を取り出して、白い箱をその中に入れて手渡してくれた。セルティはそれを受け取り、手を振って店を後にする。
「お疲れセルティ。もういいって?」
後部座席によりかかっていた新羅にこくこくと頷くと、その服は? と問いかけてきた。
『この店の衣装なんだが、今日貸してくれるらしい』
「そうなんだ! その服すごくかわいいよ、セルティにとてもよく似合ってる」
『……ありがとう』
手放しで褒める新羅に気恥ずかしい思いを抱えつつ、それでどこに行きたいんだと問いかければ、新羅は道案内するからシューターで走ってもらえないかと返した。
『お安い御用だ』

そして新羅の道案内でバイクを走らせた先は、セルティが知らない場所だった。段々暗くなっていく道にほんの少しの不安を覚え始めた頃、急にぱぁっと明るい光が視界に飛び込んできて、驚いていると新羅が後ろで笑う。
「そこ右に曲がって。駐車場に止めよう」
目的地はそこらしい。セルティは鼓動が高鳴るような気分になりながら駐車場の片隅にシューターを止めた。
そこは小さな教会だった。少し外れているからか駐車場は大きく、人気は全然ない。おそらく中ではミサが行われているのだろう。ぼんやりとした光が窓から零れていた。
教会の脇にある本物のもみの木には綺麗な飾りとイルミネーションが施されていて、大きなそれは圧巻で、セルティは思わず近づいてそれをじっと見上げた。
「きれいでしょ。取っておきなんだ。今はミサやってるからここは僕たちの貸切」
新羅はにっこりと笑いながらセルティを後ろから抱きしめた。そして手に持っていた赤い紙袋をセルティの手に握らせる。
「これ、クリスマスプレゼント」
びっくりしてセルティはそれを持ったまま振り返る。手には二つの紙袋赤と、緑。クリスマスカラーだった。
『新羅……! ありがとう。あ、私も……あるんだ』
「えっ、本当? ありがとう!!」
嬉しそうな新羅に自分も嬉しくなりながら、セルティは手に持った緑の紙袋を新羅に手渡した。中を覗いた新羅は、もしかして手作り? と一瞬で見抜いたから驚く。
『よくわかったな……。昨日作ったんだ。ちゃんと味は見てもらったから、大丈夫だと思』
文字を打っている途中でぎゅう、と抱きしめられて言葉が続かなくなる。新羅の体は冷え切っていて、けれど抱きしめられて触れた所から温かくなっていくような気がした。
「セルティ、大好き」
新羅は心底嬉しそうに呟いて、セルティは答えを言うかわりにぎゅっと強く新羅の体を抱きしめた。




11.12.25