なら取引をしましょうと彼女は言った。

吹き溜まりのような場所。そこは魔獣と呼ばれる異形がやたらと湧くところだった。それを発見したのは偶然。ルーチンワークを開始するように変身し、銃を持ったけれど、キリのないその作業はいつしか魔力切れという形で限界がくる。
それらをたった一人で全てを倒すには少々骨がいる作業だった。
だからマミは一旦そこに結界を張り、地面に散らばったグリーフキューブを全て回収して少し浄化しながら場所を移動した。
やってきたのは古ぼけた外見のアパート郡が並ぶ場所だ。団地とも違う、小さな二階建てのアパートが入り組んで建っているそこ。その一つの部屋に住んでいるのは、同業者である魔法少女の女の子。
暁美ほむらという名のその少女は、マミが訪れたことに顔色一つ変えずになに、と言った。チャイムを鳴らしたけれど反応がなくて、木の扉を小さくノックしたけれど全然出てこない。最終的に仕方なくドンドンと強く扉を叩いて、そうしてようやく扉を開けた黒髪の少女。唇から漏れる言葉は予想通りだった。
「こんばんは。こんな時間にごめんなさい」
もしかして眠っていたのかもしれない、と思いながらマミは小さく言葉を紡ぐ。ちょっとてこずっていて、何せ数が多いの。それだけで何を言っているのかほむらは察した。ふたりの間に共通する話題といえばこのことだけだからだ。
「取引?」
そしてほむらはそう言った。取引をしましょう。魔獣を倒すと得ることができるグリーフキューブと呼ばれるものは魔法少女に取っては必需品だった。だからそれを得られる場所を教えることはむしろほむらに取ってはメリットのはずだ。なのにその言葉を持ちかけられるのが意外で、マミは小さく首をかしげる。
「どういうこと?」
「今、少し忙しいの。けれど、どうしてもというなら行かないこともないわ。だから、取引をさせてほしい。こちらに今の用事よりも大きなメリットを得たいの」
「……何かしてるの?」
「それを言う必要はないわ」
ほむらは無表情で言い放つ。マミはそれにほんの少しだけ傷つく自分に内心舌打ちした。こんなことで心を揺らすなんて間違っていた。けれど、寂しい、という感情がどうしても浮かんでしまう。
「……。それで、その取引の内容は?」
これ以上考えたくなくなって、ほむらにそう問いかけた。夜はどんどん深くなっている。早く戻らないと結界だって突破されてしまうかもしれない。そう言い訳をしながら。
「――――」
「え?」

ほむらが口にしたのは本当に意外な言葉だった。

魔獣の吹き溜まりへ戻ってふたりでひたすらにそれらを狩り、そして思っていたよりも早くそれらを倒すことに成功した。こういうことはないこともない。だから技を連携させて繰り出すこともそれなりに慣れている。ほむらは弓を使って戦うから、マミも近距離攻撃のリボンではなく遠距離攻撃のマスケット銃をメインに使用した。
「これで最後かしら」
「そうね」
ばさり。音がするほどに重たい黒髪を肩のところで払いながら、ほむらはそう言った。報酬のグリーフキューブは手のひらの上で小さな山になるくらいは手に入れることができた。それを半分にわけながらマミは辺りを見回し、拾い残しがないことを確認する。
「これ、暁美さんの分」
「ありがとう」
ほむらは口の中で呟くような小さな声を上げて、それを受け取った。ざらざらと音がする。音を聞きつけていつもなら現れる白い獣は、今日は忙しいのか姿を見せなかった。
「そういえばキュゥべぇの姿を今日一度も見てないような……」
「私も見ていないわ。そのうち現れるでしょ」
そんなことよりも、といった態度で方向を転換したほむらは、もと来た道を歩き始める。アパートに戻るのだろう。マミは、その後ろをついていく。
「約束を守らなくちゃね」
少し思い出して笑みを零す。脳裏によみがえったのは取引の内容。そういえばノックをしても中々出てこなかったのは、てこずっていたせいかと急に合点がいった。
ほむらのアパートに戻ってきた。変身は一旦解除し、浄化は後回しにすることにした。そういえばマミも、魔獣を見つけてずっと戦っていたから、満たされないのはソウルジェムだけではないことをふと思い出したから。
「あら、本当に途中ね」
ギシギシと音がしそうな板張りの台所。銀色のシンクの中には剥いた野菜の皮がいくつも散らばっていた。そしてまな板の上には半分に切った野菜たち。ほむらは食事を作っている途中だったのだ。しかし、それらはどれも言っては悪いけれどかなり不恰好だ。
「何を作ろうとしていたの?」
「わからない」
「わからないって……」
ノープランで晩ご飯を作り始めるなんてある意味すごい、とマミは思いながら制服の袖を捲る。まな板に乗っている野菜でできそうなものを考え、調味料のチェックをした。
「うん、これなら5分もあればおかずは出来ると思うわ。ご飯は炊けているの?」
「ええ」
「ならお皿の用意をお願いできるかしら?」
言いながらコンロに乗っているフライパンに油を撒いた。火はつけずに置いておく。そうしているとほむらはお皿を用意するためかギシギシと足音を立てている。それを背中で聞きながら野菜を小さく切るために包丁を手に取った。

「ごちそうさまでした」
ほむらは小さな手を合わせ、律儀にそう言った。取引の内容は晩ご飯を作ってほしい、ということだった。けれど切りすぎた野菜はどう考えても一人分では多すぎて、結局マミも一緒にそれを片付けることになった。
(これじゃああまり取引にはならなかったような気がするわ)
そう思ったけれど口には出さないでおく。帰宅してまた料理をするのも億劫だし、何より一人ではない夕食は久しぶりだ。
「美味しかったわ。味付けが大事なことを実感した……」
ほむらは淡々とした声音でそんなことを言い出して、思わず噴きだしそうになってしまう。それをすんでのところで堪えて、一瞬で変身し魔法少女の衣装に替わったほむらを見つめた。
魔法少女の命そのものであるソウルジェム。その穢れを取るための食事のような、それ。手の甲にある菱形のソウルジェムを取り外し、円を描くように置いたグリーフキューブの真ん中にそれを置く。そうするとソウルジェムに溜まった穢れをそれらが吸い取り、ソウルジェムの浄化が完了する。
紫色に光るソウルジェムの周りを黒いもやのようなものが漂う光景を、マミはなんとなく見つめる。
「貴女は……」
「あぁ、私はまだ大丈夫。家に帰ってからでも十分間に合うわ」
「そう」
ほむらは無駄なことを何も言わない。それどころか必要なことも言わなかったりするけれど、マミはその沈黙が苦手ではなかった。
いや、最初は苦手だった。けれど、そういうものだと思ってしまうと簡単に慣れてしまった。それだけだ。
だからほむらといるときは必然的にほとんど沈黙が支配している。こちらとしても何を話していいのかわからない。共通点は驚くほど少ないのだから。
(友達とは……言えないものね。同業者ってところかしら)
手持ち無沙汰になってローテーブルの上の食器を重ねていると、悪いわね、といった表情でほむらはこちらを見ていた。ほとんど普段の無表情と変わらないけれど、それも長く一緒にいることで何となく理解できるようになった。
「それじゃあ、私はもう帰るわね」
立ち上がって鞄を持った時とほぼ同タイミングで、ほむらの浄化は終わったようだった。変身を一瞬で解き、制服姿に戻った彼女は扉に向かうマミの後ろを追ってくる。
「……巴マミ」
「なぁに?」
「ありがとう」
その唇が小さくはにかんだような気がして、マミは小さく目を見開いた。
(笑えるじゃないの)
なんだかとても嬉しい気持ちになって、満面の笑みを返した。
「もし晩ご飯に困ったら、連絡して。料理は好きだから」
その言葉に返事はなかったけれど、マミは気にすることなく帰路についたのだった。




11.12.11