昼休みを終えて午後一番の眠たい5限目。いつもならば半分眠った生徒がちらほら見かけられて教師に呆れられるような、そんな時間だ。しかし今日は少し違っていた。担当の教師が休んでいて、自習になったのだ。急なことだったらしく時間中やるように言われたプリントはあまりにも簡単で皆すぐに手を付け終えてしまって、結局隣のクラスに迷惑にならない程度にざわついてしまっている。
椅子を隣の席に寄せて広げたノートに落書きをしている女子たちや、前後や隣の席同士小さな声で雑談している男子たち。男女や数人で顔をつき合わせて喋っているものもいる。
ユキは隅の席でそんなクラスメイトたちをなんともなしに眺めながら、授業中も付けっぱなしのスマートフォンを取り出して机の上でいじくっていた。特に調べたいこともなかったので、適当に自習という文字を検索にかけてみる。『自習(じしゅう)とは、直接の指導を受けずに、自分の力で学習すること、特に、学校へ行ったり、指導者から学んだりする中で、与えられた課題などを自分の力で学習をすることである。』なるほど、と小さく頷く。
ふと顔を上げると、宇宙人兼クラスメイトのハルがスマートフォンを覗き込んでいた。逆向きの文字を必死に読んでいるさまは、ほほえましい。転校初日にこの自称宇宙人がうちに来て、暫く経った。勝手にスマートフォンを覗き込まれることも私服を勝手に着られることにもすっかり慣れてしまっている。手のかかる弟ができたようにユキは思っていた。
「それじゃ読めないだろ、ほら」
白いスマートフォンを渡してやると、ハルはおっかなびっくりそれに触れる。どうやら宇宙にスマートフォンはないらしく、ディスプレイを直接指で触れるそれにハルはいつまで経っても慣れない。最初に渡したときに何か飛び出してくるんじゃないの? と怯えた顔で問いかけてきた時のことを思い出して少し笑った。
そんなことを考えていた時、ふと視界の端に動くものが見えてユキは反射的に右を向いた。
(あれ、夏樹……?)
ユキの視界に入ったのは後姿だけだが、伸びすぎの黒髪と、教室を出て行った時にちらりと見えた横顔を見間違える訳がない。席を見回しても、夏樹の場所だけがぽっかりと開いている。自習中とはいえ勝手に外に出るのはまずいんじゃないだろうか、と考えるよりも早くユキの体は動いていた。スマートフォンを両手に奮闘するハルには気づかれなかった。一番後ろの席のアキラと一瞬目が合ったが、彼は彼で腕に抱いているアヒルを構うのに執心しているようで何かを言われることはなく、ユキは夏樹と同じように音を立てないようにそっと扉を開き、廊下へと出る。少し詰めていた息をそっと吐いた。
廊下は、しんとしていた。そして少し先に夏樹の後姿が見える。声をかけることは憚られて、ユキはその後を追いかけた。

それが夏樹の罠だとは知らずに。

「え、なつ、き……?」
「気づかなかったか?」
廊下のすみっこにある男子トイレの個室。一番奥。教室から一番遠くて授業中に人なんて絶対に来ないようなそんな狭い密室で、ユキは夏樹に抱きしめられていた。夏樹の腕はあつくて振り解くことが躊躇われた。
どうやってこんな状態になったのかわからない。
廊下をまっすぐ歩いていたのに、いきなり右に曲がった夏樹に見つからないように柱の影に隠れて、どうにか見つからずに済んだと胸を撫で下ろしながらユキも同じ道を辿ったら、曲がってすぐのところにに夏樹がいた。ユキが驚いて目を見開いている間に手首を捕まえられて引っ張られ、連れ込まれたのがこの個室で、抵抗する暇もなく抱きしめられて、今に至っている。
「何で、こんな……」
何もかもが突然すぎて理解が追いつかない。ユキは夏樹の体があまりにも近い場所にあることにどきどきと勝手に高鳴る心臓の音に、全ての思考を奪われてしまった。そのせいで、まともな考えが浮かばない。
「お前、気づいてる? 俺ら、最後いつしたと思う?」
「した、って……えっ」
かああ、と頬があつくなる。ふたりの間でしたという言葉と言えば、連想されるのはひとつしかない。自分ですら触れないような場所に触れられて、自分でしか触れないようなところを触れ合って、熱にぐちゃぐちゃにされて訳が分からなくなるようなその行為を、夏樹の言うとおり確かに随分としていなかった。
「三週間前、俺んちでさくらがいなかった時にお前が乗っかってきて……」
「うわあああ、待って、思い出したから!!」
これ以上夏樹を放っておいたらとんでもないことを口走られそうだと思ったユキは慌てて夏樹の口を塞ぐ。そして必死にそう言えば、なんとか黙ってくれた夏樹にほっと息をつく。
「……で、でも俺の家いつもハルがいるし、お前んちだって……」
「んなこと分かってるよ、だからな?」
「えっ」
「分かるだろ、溜まってんだよ」
「え、えっ?」
「ちょっと触らせろ、足りない」
ぎゅうぎゅうと抱きしめていた腕をようやく解いたかと思うと、夏樹はユキの制服の裾に手をかけて、そこから直接肌に触れてきた。それに慌てている間にあっという間にネクタイを解かれシャツのボタンが外され、夏樹の指がユキの乳首に触れる。びくり、と体を揺らした瞬間背中がトイレのドアに当たって、ガタ、と音を立てた。
「静かにしてろ」
「ごめん……」
つい反射的に謝ったユキは、少しだけ納得がいかない気持ちになっていた。何もかもが性急な夏樹の行動に、ただそういうことをしたいだけなんじゃないかと、そう思って。むっとした表情を隠さないでいると、それに気づいた夏樹が顔を上げ、なんだよ、と問いかける。
「何だ、何かまた不満なのか? 言えよ、口に出して」
頭の中で完結してしまう癖を咎められ、もっと不満な気持ちになったけれど、意を決してユキは言った。俺の体が目当てなのか、と。
「はぁ?」
「だってこんな風に急に、その、雰囲気とか、だって、ないし……」
「何、じゃあお前はベッドの上で電気消して、キスからしたいとでも言うのか?」
「べ、別にそんな……!」
「そう言ってんだろ!?」
何で自分達はこんな狭い個室の中で体をくっつけて、こんな不毛なことを言い合っているんだろうかと、ユキはあまりにもよく分からない展開にどんどん混乱しはじめる。そうすると足の下から水が這い上がってくるような感覚がして、ヤバイ、溺れる、と思った。
「またそれかよ……」
テンパった時に出るユキの癖を夏樹は嫌っていて、だから大げさにそうため息を吐く。ついには興が冷めてしまったのかユキに触れていた手を離してしまい、また幻滅させてしまったと泣きそうな気持ちになった。
しかし急に腕を引かれて夏樹の胸に抱き寄せられ、ユキはまた混乱した。
「え、な、なに……」
「てめーは! ちょっとは落ち着け。誰も体目当てなんて言ってねーし、お前はじゃあ、俺とこういう風にしたいって思わないわけ? そうならちょっとへこむんだけど……」
「そ、そんなことは……ないよ!!」
ユキは慌ててそう言った。いつの間にか発作のような息苦しさは消えていて、だからユキの視界の中には水の中から見る景色のように揺らめかない、リアルな夏樹がいた。
「ごめん、何かいきなりだったから、びっくりして。そしたら夏樹が考えてることよく分かんなくて混乱した」
「……そうか。俺も悪かった」
優しく唇を塞がれて、ユキはそっと瞼を閉じる。なし崩しにまた夏樹が体に触れてきたから少しだけ思うことはあったけれど、また喧嘩になるのはいやだったし夏樹に触れられることは嬉しい。だからユキは黙って夏樹の舌を唇に誘い込んだのだった。





「ん、この体勢、ちょ、ちょっと……」
立ったまま個室の扉に背をつけ、片方の足を洋式の便座に引っ掛けているような状態で夏樹が入り込んできて、さすがにユキは言及するも、ポケットに忍ばせていたらしいコンドームを指につけてユキを慣らし始めるほど切羽詰っていたらしい夏樹は止めてはくれず、煩いとばかりに唇を手で塞がれてしまいユキは半泣きになりながら夏樹を受け入れた。
「っう、んぐ、っ、くる、し……」
後ろから言葉に出来ないほどの痛みと、唇と鼻を塞がれて上手く息をできないせいでユキは必死になって手をはがしてもらおうと目線で訴えかけるけれど、夏樹は気づかないのかそのまま中ほどまで入り込んできた。痛い、と叫ぶような声は全て夏樹の手のなかに消えていって、外に漏れるのはもごもごとした音ばかりだ。
「も、ちょっとだから、待て」
まるでしつけをする飼い主のような言葉に俺は犬かよ! と不平を漏らすユキだが、それも言葉にはならなかった。
「う、……っう、うう……」
夏樹の手に阻まれて漏れる篭った声は色気のカケラもないとユキ自身が思う。こんなので夏樹は満足するんだろうかとつい考えてしまって夏樹の顔を見れば、苦しげだが確実に夢中になっているような表情に、内心ほっと息をつく。
「もうちょっと」
「う、うん……」
口に置かれた手の力が少しだけ緩んで、空気がそこに流れ込んできてユキはようやく息苦しさから解放され、少しだけ余裕ができた。
その瞬間夏樹が息を吐いた。全部入ったんだろうか、と考えていると、唐突に顔を上げた夏樹に驚く。眼鏡が当たってしまいそうなほどの至近距離にどきどきと胸が高鳴ってしまう。
「何びびってんだよ」
「ち、が……んっ」
違うことを伝えたくて夏樹の唇に自分のそれを重ね合わせた。夏樹は少しだけ驚いたように目を見開いたようだが、すぐに楽しそうに目を細めて、その顔を見て猫みたいだ、とユキは思った。
「動くぞ」
「あ、うん、もうちょっと待って」
「早くしないと授業終わる……」
「うん、けどもうちょっと」
夏樹が動いてしまえばそれはゴールが近づいてしまうということで、ユキはそれは勿体無いと思った。時間がないのもこんな場所でするのもリスクがありすぎることは分かっていたけれど、ユキはもう少しだけ、こうやって夏樹の熱をゆっくりと感じたかった。抱きしめあっていたかった。
夏樹はユキの考えていることに気づいたのか仕方ないという顔をして、もう少しだけだぞ、と言うかのようにそっと唇を塞いできた。




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