海岸で拾った、とハルが言って持ってきたのは透明の瓶に入った、空と同じ色をした塗料だった。

「何かわかんないけど、色がかわいいよねぇ」
「これマニキュアだよ」
「マニキュア?」
「女の人が爪に塗ったりするやつ」
砂まみれのそれを両足で抱えたゴミ箱の中で掃いながらユキはそう言った。ユキの部屋で膝立ちになっているハルはまるで子供のようだ。分からないことを何、何、と聞くばかりの無邪気な。
「あぁ、ほら。『マニキュアとは化粧の一種。手の爪を塗装すること。また、それに用いる化粧品としての塗料のこと。美爪術、爪化粧ともいう。』」
「ケショウってー?」
矢継ぎ早に繰り返される質問にユキは慌ててマニキュアを床に置き、スマートフォンを弄る。化粧とは人間の顔や体に、白粉や口紅などの化粧品をつけて美しく見せること。ユキの手の中のそれはユキよりも小さいのに、ユキよりもたくさんのことを知っている。
「ふぅん、でこれは爪に塗るの?」
「そう」
「ユキ、塗って!」
「え? 聞いてたか? これは女の人が塗るの」
満面の笑みを浮かべるハルはかぶりつくような勢いでユキに言った。
「えーでもユキきっと似合うよ、だってこれ、ここの海と空の境目みたいな色!」
「俺、やだよ。お前が塗ればいいだろ」
「じゃあ、塗って!」
指を十本突き出して笑うハルは、相変わらず宇宙人だ。突拍子もない言葉、行動。ユキはいつもそれに振り回される。
「俺そんなに器用じゃねぇから」
「ケイトならできる?」
「ばぁちゃんにこんなくだらないことさせるくらいなら俺がやるから!!」
「じゃあ、やって」
にっこり。策に嵌められた気分でハルの顔を見る。けれど意図のなさそうな屈託のない笑顔に気を削がれる。右手に持っていたスマートフォンとマニキュアを持ち替えて、ため息を吐いた。
「じゃあこっち座って」
ベッドの横に座りなおすように指示して、ユキは胡坐、ハルは正座で指をつきあわせる。何をやっているんだと思ったけれど、考えたら負けだと思ってマニキュアの瓶を開ける。その瞬間広がるすこしツンとした刺激臭に窓が開いていてよかったと安堵する。
「なんかくさいー」
「有機溶剤が入ってるから」
「なにそれー」
「しらねぇ」
先ほど調べた項目を思い返しながら言うがそれ以上は両手が塞がっているのでわからなかった。ちなみにマニキュアにはパール系のものには魚鱗粉が入っているものもあるらしい。けれどこれはきっと、入っていない。ぺったりとした空色。ハルの白い肌には中々似合うと思った。
おっかなびっくり、小さな爪を十埋める頃には、大胆にはみ出さないようになった。けれどまぁ、最初の方に塗ったものは惨状に近い出来ではあったが。しかしハルは気にしていないようで、先にできた左手を窓の方に向けて翳し、キラキラとした瞳でそれを見つめている。
「おい触るなよ、乾くまで待て」
「オッケー!」
左手でOKサインを作ってハルは笑みを浮かべた。なんだか手のかかる弟、いや、この場合妹か? でも持ったような気分だった。ハルは子供のようだった。子供のようになにも知らず、子供のように無邪気で。

「あ、ユキ。これ乾いたらしようよ」

けれど決して子供ではないことは、ユキがきっと一番よく知っている。



***



十の水色がひらひらと揺れる。ユキはそれを空から落ちてきた結晶のようなものが降ってきているように感じていた。開けっ放しの窓から見えている空は、ハルの爪と同じ色をしている。
勢いよく迫ってくるハルを押しのけ、どうにか部屋の電気は消すことができた。けれど逆にそのせいで外の明るさをいやというほど実感してしまって、ユキは気恥ずかしさにしねると思った。
熱の塊がユキの中でうごめいている。ハルは宇宙人の癖に、あつい。まるで人間みたいに。
「ユキ、きもちいい?」
指が唇に触れる。すぐに頬に。そして目尻に。水色の五つの欠片がするすると動くのをユキは目で追った。体の上にはハルがいて、お互いなにも身に着けていない。逆の指がユキの色素の薄い陰毛をかき混ぜた。ハルもたいがいだが、そこが後ろの肌が透けて見えるくらい薄い色だからなんだか落ち着かない。この間クラスメイトのAV鑑賞会に混ぜてもらったときに見た、日本人のそれとは随分と違うものだと驚いた。それからなんだか、意識するようになってしまった。お互いにその色ではないのに。
「それ、やめろ……」
「なんで? きもちいいでしょ?」
「きもちよくない」
「うそ、だめだよ、ユキ」
くるくると指が滑る。普段触れることのない弱い皮膚をなぞられるのはかなりくすぐったくて、そして気持ち良い。そんなことは知っている。けれど恥ずかしいからやめてほしいのだ。だがそれをハルは一向に理解しない。だからユキは嘘をつくしかないのに、それはすぐに論破されて、結局ハルが飽きるまでそこを弄られる。
「や、だ、もう、」
両腕で目元を隠して切なる思いで訴えれば、ようやくその指は離れた。そろりとハルを見ればその表情は不満げだ。女の子のように頬を膨らませる仕草はハルには良く似合っている。
「なんで? ユキ、こうすると後ろ、きゅーってなる。いいってことでしょ?」
「や、めろ、それ以上言うなら抜け」
「やーだよ!」
ユキの中きもちいいもん、とハルは言って唐突に腰を動かした。う、とか、あ、とかいう声がユキの口から漏れる。女の子のように甘い声を上げるのはとても似合わない。だから声をかみ殺す。
「わかったから、急に動くな」
「全部言ってたらユキ、きもちよくならない!」
「いやなるって! なるから、ちょ、も、……ぁ、」
また急に動いたハルに翻弄されて、ユキはわけがわからなくなる。もう知られている弱いところを徹底的に触れてくるハルは、意地が悪い。女の子みたいなのに、とユキは内心で悪態をつく。
ユキの腰を掴んでいるハルの手は見えない。だから空色の爪先も、もうユキには見えなかった。




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