「おい」
昼休みも終わろうかという頃、ひとりきりだと思っていたはずの屋上の扉に立つ人物に声をかけられ、アキラは屋上の柵にかけていた腕をそのままにちらりとそちらを振り向く。斜め後ろにある鉄の扉は日の光に晒されてペンキが色あせてしまっている。そこに触れるか触れないかという距離で立っているのは、メガネにボサボサ頭の宇佐見夏樹という男子生徒だった。
確か身長178cm、体重は……男子生徒のそれは特に興味がないから調べていなかったか、と脳内のデータベースをさらいながら、指先で挟んだそれを無意識に唇へ持っていく。
喫煙は癖だ。
退屈な授業中には我慢しているし、短い休み時間だって八割はきちんと教室で職務を全うしている。しかし長い昼休みを持て余し、教室へのモニタリング設備も配置している今、ずっと肉眼で見つめている必要はない。アキラが学校にいるときは、部下がローテーションを組んで目くらましのしらすカレー屋の運営と、モニタリングを滞りなく行っているはずだ。
それを知っているから、気疲れというのもあるのかもしれない。教室の中にターゲットがいて、アキラもそこにいるから、自動的に一緒にモニタリングされてしまう。
煙草を吸う本数が増えている自覚はあったけれど、やめることを考えたことはない。
高校生という触れ込みで転校を果たしたが、アキラはれっきとした25歳の青年である。煙草も吸えば酒だって嗜む。特に煙草は一日一箱とは行かないものの、それに近い本数は毎日吸っていた。仕事中の喫煙に寛容な職場であったことが災いし、潜入中の今、休み時間に堪えるのは少しつらいほどだ。だから昼休みの一本くらい許せよ、と思いながらアキラはまた煙草を口にする。
「どうした青少年」
宇佐美夏樹という少年はいつも不満げな顔をしている。それに、アキラの転校の挨拶をさもつまらないかのような態度で聞いていたので、印象値はあまりよくなかった。ただ切ればそれなりに見えるだろう髪や日本人らしい顔立ちはまあまあ気に入っている。せっかくの黒髪を脱色しているらしい斜め前や一つ前の席の女子よりはよっぽどに。
しかし世界中のどこよりも平和で生ぬるい国に頭まで浸かっておいて不満げな顔を隠さない学生自体、アキラにはどうにも解せなかった。だからといって暑苦しく青春されていても苛つくのだから、結局アキラはこの国自体が気に入らないのかもしれない。
「それ、煙が下から見えんだよ」
宇佐美夏樹はアキラの方へと近づき、柵の向こうを指差した。その先には渡り廊下がちらりと見えて、なるほどそれでわざわざ忠告しにきたわけだとアキラは納得がいった。
そして、心底お節介な日本人の模範のような少年だ、と反射的に考えた。
「それで、俺がすみませんもう吸いませんと謝れば君は満足なのかな?」
「俺にも吸わせろ」
「煙草はハタチからだ、青少年」
ふう、と吸い込んだ煙を言葉と共にその仏頂面に吹きかけてやれば、反射的にそれを吸い込んでしまったらしく、盛大に咳き込む姿を見下ろして溜飲を下げる。華奢な体がほとんど二つ折りになってえづくさまは、中々愉快だった。
「てめぇ……」
涙目で顔を上げた夏樹の表情も中々よかった。アキラは子供にしては色気があるな、と冷静な分析をしながら、空いている方の手を夏樹の顎に触れさせ、そのまま引き寄せながら自分も腰を曲げた。
「えっ……むぐっ」
塞いだのは唇だ。煩い子供を黙らせるにはこれが一番手っ取り早い。舌を差し込んで深く近づけば、ぬるりとした粘膜が絡まって、至近距離にある顔は耳に響く水音にカァ、と頬を染めている。
「フン、これで懲りたらもう俺に、っ!?」
唇を離して言い捨てるが、しかし最後まで言い切る前にギッと睨み付けてきた夏樹の顔が再び近づく。衝撃を受けたのは先ほどまで熱を分けていた唇だった。再び塞がれ、そしてすぐに痛みが走る。下唇に噛み付かれたと気づいたのは、その体がもう離れた頃だった。
「高校生舐めんな」
吐き捨てるように言った夏樹はそのまま屋上を出て行ってしまう。呆然と立ち尽くすアキラは、指に挟んでいた煙草を取り落としてしまっていることに気づくのに数分の時間がかかってしまった。

アキラに暫く忘れられそうもない熱を植え込んだ少年。煙草の毒のようにじわじわと侵食されていく予感にアキラの唇は自然に笑みを浮かべていた。




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