じゃあ日直の真田くんと川瀬さんは悪いけど、ここ片付けておいてもらっていいかな?
音楽の授業も終盤になった頃。まだ若い音楽教師はそう言って授業を少しだけ早く切り上げた。ユキは後五分で片付くかなぁと思いながらのろのろと立ち上がる。
「めんどくさいね」
一緒に立ち上がったクラスメイトの川瀬さんはそう言った。とはいえ、そこまで大変なものでもない。キャスター付のほんの少しの大型楽器を隣接している部屋に直すだけだ。今日の授業は合唱だったから、伴奏になる楽器は腕に覚えのある、もしくは教師に指名された数人しか使っていない。
シャランシャラン、カンカン、と不協和音を立てる楽器を無言で動かす。一緒の日直である女子は、ユキはさっきのような世間話にもならないような言葉しか話したことがない。けれど、それはクラスの大半の女子に言えることだったから、関係がないようなものだった。
「あ、あと、やっとく……よ」
「ほんと? ありがと」
彼女は準備室に入る寸前、部活があるのに、と独りごちていた。だからユキは勇気を振り絞ってそう言った。あまりにも小さな声だったが彼女には無事聞こえたようだ。
ぱあっと明るい顔になった彼女は笑って手を振りながら準備室を出て行った。
「おい、まだかよ」
それと入れ替わりに準備室に入ってきたのは夏樹だった。え、ウソ、待っててくれたんだ。そう、感動を噛み締めていると夏樹は難しい顔をしている。
「お前、それ押し付けられたの?」
「え! ち、ちがうよ、川瀬さん部活あるって言ってたから俺やっとくって……」
「お前だって釣りあるじゃん。今日もすんだろ?」
「あ、でも、俺のは別に、部活みたいに時間決まってるわけじゃ、ないし」
「まぁそうだけどさ」
手伝う、と早口でかつ小さな声で言った夏樹は取って返して楽器を準備室の中に入れはじめる。ありがとうと言うヒマもなく、扉のところで受け取った楽器をユキが更に後ろに押しやってバケツリレーの要領で楽器を片付け始めると、驚くほど早く全てを仕舞い終わることができた。
(すごい、こんなに早く終わるんだ)
「何感動してんのかしらねーけど、ほらもう帰るぞ」
ホームルーム終わってるんじゃねぇか、と夏樹は腕につけた時計を見ながら言った。まぁサボれてラッキーだな、と続けて笑って。その顔が楽しそうだったからユキは嬉しくなる。
そんな話をしていた十分前と、今。
(どうしてこんなことになっているんだろう……)
準備室は内側から鍵がかかる。それに気づいたのはどっちだったか。楽器も高価なものがあるからだろうな、と言った夏樹に、確かに、と思ったところまではハッキリ覚えているのに、何でいまその準備室に内側から鍵をかけて二人で閉じこもっているのか、よくわからない。
夏樹は笑っている。楽しそうに。まるでふたりだけの秘密基地に潜り込んだみたいな顔をしていた。
けど実際もぐりこんでいるのはユキのシャツの中だ。
「ひゃ! 夏樹、くすぐったい」
めくり上げられたシャツの下にある脇腹の辺りに顔を寄せる夏樹。ユキはどうにかしてこうなった状況を思い返す。
最初は壁に押し付けられてキスをしていた。けれど段々足に力が入らなくなって、今はカーペットの上に腰を下ろしている状態だ。同じようにカーペットに膝をついた夏樹が、ユキを翻弄している訳だった。それしか思い出せなくて首を傾げる。
夏樹のメガネが時折腰や腹をかすってひやりとして、体がびくんと震えた。
「黙ってろ」
シャツを着たままだとこれ以上進めないと気づいた夏樹は顔を上げ、ボタンをぷつぷつと外していく。露になった胸元に再び唇が近づき、ユキは身を捩った。くすぐったい、やめて、という声が喉まで出かかる。
(今は誰もいないけど、そのうち掃除の人とか来るだろうし! そしたらここの鍵開いてないって怪しまれる! きっと!)
気持ちよさよりも焦りのほうが先立って、ちっとも集中しないユキ。それに焦れた夏樹は性急にズボンのベルトを取りにかかって、ユキはさすがに焦って夏樹の肩を掴んだ。
「何」
「いや、ここじゃ、だめだよ……誰か来るかもしれないし」
「じゃあどこですんだよ」
きつい眼光にたじろぐ。夏樹の目は本気だった。釣りをしているときと同じくらい。
「え……えっと……」
夏樹もユキも実家暮らしで、夏樹の家には常に家族がいるし、ユキの家には常にハルがいた。いないときもあってその隙をついて体を触れ合わせることはしていたけれど、そんなのはほんのたまにだった。ハルはユキに懐いている弟のようにどこへもついてくる。二人きりになれるのさえ稀な状態なのは、ユキだって気づいている。
そんな風に葛藤していると、待ちきれないといったように夏樹が愛撫を再開して、ユキは慌てて再び強く肩を掴んだ。
「だ、だからって学校とか……」
「じゃあホテル行く?」
「えっ!?」
「冗談。流石に高校生は入れないんじゃないかな」
それに、男同士だし。夏樹が耳に吹き込んできた低い声にぶるりと体が震えた。嫌でもそういうことを実感させられて、ユキの意識はどんどん夏樹の方へ向いていった。手の力は抜けてしまって、抵抗している内に入らなくなった頃。夏樹はユキのズボンをすっかりくつろげてしまって、小さく芽吹いた熱をもっと増やすように強く触れてきた。
「ッア……!」
「なぁユキ、……俺のも触って」
「う、……う、ん……」
また耳元で声がする。夏樹にそんな風に言われるとユキは何も逆らえなくて、恐る恐る手を持ち上げる。夏樹のそこは、もう布越しでも分かるほどあつくなっている。
「夏樹、もうあつい」
「我慢できねーの、わかる?」
「うん」
「じゃあ触って」
「うん」
こくこくと頷きながらユキは夏樹の熱に触れる。それに浮かされてしまったように正常な思考回路は飛散してしまった。ユキはもうただ夏樹にただ触れたくなって、それ以外のことは何も考えられない。
「っ、あ、だめ、夏樹俺触れない」
「でもここ、こうすると気持ちいだろ?」
「ッ、うん、気持ちい……い」
ベルトを外している間にも夏樹はユキの気持ちいいところをくすぐって来て、全然夏樹のことを気持ちよくさせてあげられない。快楽にぶるぶると震える指をなんとか動かして夏樹の下着の中に手を入れた。下着のゴムが伸びて露になったそこは、すでに熱でむっとしていた。何度か触れたことのあるそれに指を滑らせ、裏筋をなぞれば至近距離にある夏樹の顔が少しだけ歪んだ。
「うん、そ、そうやってもうちょっと、強く、な?」
「お、俺ももうちょっと、ンッ、気持ちいい、夏樹」
両手を使ってばらばらに指を動かして刺激すれば、シンクロするように夏樹も同じ動きをしてきた。自分でしているような、けれど確実にそうでないと分かるのは耳元で聞こえる夏樹の息遣いのせいだ。色っぽい、なぁ、とぼんやり考えながら指を動かすと、夏樹があ、ごめん、と唐突に呟く。
「えっ?」
「ごめんユキ、俺我慢できなくなった」
「えっ」
「なぁ、ユキ……入れたい」
また耳元で、声。そんな声反則だ、とユキは思う。強い夏樹の声には逆らえない。染み付いた習性のようなそれでユキは無意識に頷いていた。
「アッ、だめ、だめ、夏樹、……だめ、」
「ダメじゃないだろ?」
性急に慣らされたそこに夏樹の切っ先が触れて、ユキはびくんと体を揺らす。両足をつかまれて抱え上げられ、とんでもない格好のまま、結局夏樹を止めることはできずにユキの中にそれが入ってきた。びくびくと勝手に揺れる体と心臓に翻弄されて、意識が遠のいたり戻ったりしているうちにも夏樹のものはどんどん奥に進んでいく。
「キツ、」
思わず漏れた声にユキは少しだけ憤りを感じるけれど、それは一瞬のことだ。夏樹が自分のことしか見ない時間はユキにはとんでもなく嬉しくて、結局は許してしまう。
「何か考えてる?」
「そ、んな余裕ない、って」
そっか、と笑った夏樹の笑顔はとてもかっこよくて、モヤモヤした気持ちはどこかへ行ってしまった。かっこいいなぁ、なんて、口にはとても出せないけど、心ではずっと思っている。
釣りをしているときも、ぶっきらぼうな喋り口も、こうやって自分のことしか見ていない時間も、何もかも。
「ア、もうちょっと、我慢して、な」
「う、ん……」
喉から引き絞るような声が漏れて、痛みが全身を支配して、ユキはまた何も考えられなくなった。痛い、痛い、とそればかりで。けれどその痛いほどの熱が夏樹のものだと思うと、我慢も辛くはなかった。
それに、その痛みを忘れてしまうほどの気持ちよさがすぐに来るって、分かっていたから。
「ッあ!」
「シー!」
夏樹がユキの一番気持ちいいところに触れた瞬間、つい声を上げてしまった。そんなユキに夏樹は慌てたように口をむぐっと塞ぐ。その間抜けな感じに、思わず二人で小さく笑った。
「静かに、な」
ユキの口を塞いだ手を離して口元で一本指を立てる夏樹に、きゅんと胸が鳴る。夏樹をひとりじめにしているこの瞬間が嬉しくて、それだけでもう何でもいい、と思う。
「……じゃあ、ふさいで」
痛みと快楽でない交ぜになった思考でそう呟けば、すぐに笑みの形の唇が落ちてきた。




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