友達んち泊まりに行くから、と言えば父親はあぁハルとユキだったか? あの子らだろ。仲いいもんなぁなんてからかってきて、それを無視して家を出れば、何やら苦言が聞こえてきたけど黙殺して夏樹は江ノ島の奥へと向かっていた。
否定しなければ肯定もしなかった。まぁ仮に合っていたとしても父親と必要以上の会話を拒んでいる夏樹は何も言わなかっただろう。
父親の言葉は実際勘違いで、夏樹の目的地はユキの家……ではなく、その隣にあるカレー屋だった。もっと正確に言えばその奥。カレー屋の内部は何かキミツジコウというものがあるらしく夏樹は入ったことがない。さして興味もなかった。

そんなこんなでやってきたのは25歳のクラスメイト、アキラの家。カレー屋の奥にある彼の私室で夏樹は親にも友達にも言えないようなことを、繰り返している。

「ッア――!!」
絶頂はいつも唐突だ。前だけでは感じられない深く長い快楽に実を委ねている内、急に限界が訪れる。白濁を放った夏樹は放心状態で天井を見た。天蓋こそついていないものの、驚くほどでかく豪奢なベッドは彼の趣味なのだろうか。染み一つない白いシーツはそれっぽいけど、なんてことを考えながら荒い息を吐いていると、同じように限界だったらしいアキラが夏樹の中で果てた。どくどくという感覚はアキラと夏樹の間に挟まっているゴムのお陰で奥までは入ってこないが、いつも零れるような感覚がつきまとってきて夏樹は反射的に眉を顰めた。
「あぁ、そうだな」
アキラは夏樹の絶頂と同じくらい、唐突な声でそう呟きながら顔を上げた。夏樹はもはや恒例となっているその先を予想してなんとも言いがたい気持ちになる。
アキラはいつも果てた後にペットであるアヒルに飯をやる。取り外したコンドームをゴミ箱に捨てながら、床に落としたズボンだけを身に着けて。たまにバスローブの時もあるけれど、今日はズボンだった。あぁ、下着の時もあるかな、なんて夏樹は考えながら寝返りを打って横を向く。大きくてふかふかの高そうな枕に頬をつけて、その様子を見てみる。
寝室にペットを連れ込むデリカシーのない男は、それと会話をしながらえさをやるので、正直夏樹は気分がよくない。けれど、それを言うには自分たちの関係というのは甘ったるいとは言えなかった。恋人と言われれば夏樹は確実に否定する。じゃあセックスフレンドと聞かれれば、それも否定したい気持ちではあったのだけれど。
とどのつまり夏樹ははかりかねていた、アキラとの距離を。
「あぁ、そんなに急いで食べなくてもまだあるぞ?」
「グワッ」
床にしゃがみこみ、さながら姫にかしずく従者のような、あどけない彼女を見守る彼氏のような、そんな瞳や言葉でアキラはアヒルに話しかけていて、夏樹はぼんやりとした視界でそれを見つめた。そういえば眼鏡は、と思って辺りを見回して床に落ちているのを見つける。なければ授業に支障が出る程度なので、別に今なくても問題はない。ここには黒板もノートもない。
「そうか、お腹がすいていたのか。すまなかったなタピオカ」
さながら恋人に向けるかのような仕草や声音を吐くアキラは、つい数分前まで夏樹とセックスをしていたことなどもう忘れてしまっているかのようだった。ちらりともこちらを見ないのがなんだか面白くなくて、夏樹は小さく咳払いをする。
アキラは音に気づいてこちらを見る。音に敏感なのは知っていた、一緒に眠って起きた朝に独り言を呟いたのに驚くように目覚めたのは記憶に新しい。枕の下に不穏なものを隠しているのも知っているから、そういう習慣なんだろうと思っていた。
ともかく気を引いたならそれなりのことは言わないといけない。少し枯れた喉を指でもみながら、夏樹は水がほしいと思った。
「それはメスなの? オス?」
しかし口から出たのは違う言葉だった。アキラは唐突にそんなことを聞いてきた夏樹に首を傾げながらも、口を開く。手はまだアヒルを撫でている。
「メスだけど」
「ふぅん」
「嫉妬か?」
「寝言は寝て言えよ、オッサン」
馬鹿らしくなって寝返りを打ち、背を向けた。そうするとアキラが面白がって追いかけてくることを知っていた。こんなことばかり覚えてしまっている自分が情けなくなる。男の気を引いてどうするというのだ、という考えは無理矢理隅に追いやった。
「夏樹、喉渇かないか?」
ベッドに片足を乗り上げてアキラからは見えない頬をそっと撫でられる。そして問いかけられた言葉につい悪態をついてしまう。
「……やっとかよ」
「え?」
「何でも。喉渇いた。水くれ」
「仰せのままに、お姫様」
おどけるアキラにコロス、と呟けば笑ってかわされる。そして乗り上げたベッドの上から降りる気配がして夏樹は無意識につめていた息を吐き出した。ペットの水もついでに汲んでくるんだろうなぁ、むしろ俺はそれのついでか? なんてことをつい考えている間に隣室から取って返したアキラが水の入ったペットボトルを夏樹の頬に押し当てた。
「冷たい」
「温い方がよかった?」
「どっちでも」
そう言えばアキラはきっと気づくから、そう言った。仰向けになればちょうどその水をアキラが飲み干していたから、夏樹は目を閉じて口をうっすらと開ける。すぐに顎をつかまれて、そこにアキラの濡れた唇が触れた。
冷たいものと温いものがない交ぜになった液体が夏樹の口の中に溢れる。零さないように全てを飲み干せば、唇が離れた。もう一回? と目で聞いてくるのでもう一度目を閉じる。瞼の向こうで笑った気配がした。
「なんだよ」
「なにも?」
そう言ってペットボトルを煽ったアキラからはそれ以上言葉は零れなかった。代わりになんだか甘いような気がする水が注がれて、夏樹の乾いていた喉はすっかり潤う。
きっとそのせいで、喉の滑りがよくなってしまったのだろう。
「そいつ、大事?」
聞いてはいけないような言葉を吐いてしまったような気がして、夏樹は慌てて寝返りを打ち直した。アキラの見開いた目が視界に焼きつく。恥ずかしい、何言ってんだ俺、とそうぐるぐる言葉を反芻していると、ふわりと髪に手が触れた。
「夏樹、もっかい、しようか」
「……オッサンまだいけるのかよ」
答えを避けることは予想できていたので、そう誤魔化したアキラに悪態をつけば、ひどいなと笑われた。

「っ、あ……!」
鼻から抜けるような声が上がって夏樹は慌てて下唇を噛む。一度後ろで達してぐずぐずになった体にもう一度快楽を注ぎ込まれるのは、苦痛にも近い強い享楽で、気持ち良いと苦しいは紙一重なのかと夏樹はぼんやり考える。
ターバンをつけていないアキラの黒髪に指を差し入れて、引き寄せる。なんだか甘えたい気分だった。鼻をこすりあわせると、至近距離でアキラが笑う。
「どうした?」
「べつに。気まぐれだよ」
「そうか。俺のお姫様はどっちも気まぐれだな」
不敵に笑う顔が憎たらしい。心にもないことを言って、と思う反面、どうしようもなく嬉しい気持ちがその奥にあって、どうすればいいか分からなくなる。
「うる、さ、」
「はいはい」
なだめるように頬を撫でられて、そのまま額に口づけられる。子供じみたような触れ合いがアキラは存外好ましいらしく、頬に口づけるなんてことはしょっちゅうやってくる。そういうくすぐったいのは苦手だ、と思いながらも拒めない自分はきっと心から拒否できていないのがわかって、くやしい。
「く、っあ、も、……もっと、強く」
忘れたかった。何もかも、今だけでいいから忘れてしまいたくて、夏樹は快楽に溺れようと決めた。それは逃避に違いなかったけれど、この際もうなんでもよかった。
「もっと?」
「っ、もっと、だよ」
「俺しか見えなくなっちゃうよ?」
ごちゃごちゃとうるさい口を唇で塞げば、笑う気配がした。口を塞いだから、言わなかった。もう結構お前の事ばかり見ているとか、そういうことは。




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