他に何も考えられなくなるような、頭の中をぐちゃぐちゃとかき混ぜられるような行為の後。熱に浮かされていた感情は、開放と共に嘘のようにすっと冷める。 吐き出してすっきりした体はその後の干渉を快く思わない。そういう風にできているはずなのに、目の前のインド人にはそれが当てはまらないらしい。 「夏樹、体は平気か?」 「……、そんな事聞いてくるんじゃねぇよ」 不躾な質問に、夏樹は手のひらにすくったお湯を前にいる男に放った。頬にほんの少しかかった液体は、すでに濡れている顔には何の意味もないとは気づいていたけれど、気分の問題だ。 ――したあとに一緒に風呂に入るだなんて、そんな気恥ずかしいこと夏樹は一生するとは思っていなかった。 一般家庭のそれより少し広いくらいの浴室。壁のタイルも浴槽もほとんど白く、唯一色があるといえば透明の湯に浮かんでいるオモチャだろうか。黄色いそれはドラマや漫画で見る定番のものだが、実際に風呂に浮かべてる人間がいるとは思っていなかった。 向かい合って湯船に浸かるふたりの間に浮かぶその黄色いアヒルは、親子連なって三匹、先ほど夏樹が揺らした水面に乗ってゆらゆらと揺れている。 「大事なことだぞ?」 「じゃあもうこんなこと二度とするな」 「それは無理だ」 べたべたと腕に触れてくる手はちっとも遠慮がない。明るいバスルームで向かい合っているのが気恥ずかしくて体育座りをする夏樹と、透明のお湯にも一切気にせず胡坐をかいているアキラ。自分達はなにもかも反対だと夏樹は少しのぼせかけた頭で考える。お湯が熱い。けど、アキラは熱いお湯が好きなのか気にする様子は見られなかった。 アキラの手を鬱陶しいと振り払えば、残念そうに肩をすくめてあっさりと手を引かれた。それをつい追ってしまう視線を、夏樹は慌てて水面に向ける。 アキラと目を合わせるのはまだ恥ずかしかった。それは行為の余韻がまだ充満するように残っているから。 だから、ぷかぷかと水面に浮かぶオモチャに目を向けた。黄色い。そういえば白じゃないのか、とほんのり首を傾げれば、斜め上から声が降ってくる。 「白いアヒルは売ってないんだ」 「へぇ」 どうでもいいことだったから、どうでもいい相槌を打ってしまったことに、アキラは気づいただろうか。実際アヒルが白だろうが黄色だろうが、夏樹にとってはどうだってよかった。アキラもきっとそうだろう。以前持っていた傘は黄色かった。ふと思い立って聞いてみると、アキラはすぐに答えを口にした。 「本当は白がほしいけど、あまり見かけないから妥協している」 「そうなんだ」 声に釣られるように顔を上げると、心底残念そうな顔をしているアキラと目が合う。その表情がまるで子供みたいで、年上の男なのに、と思って夏樹はそっと唇を緩めた。 そのまま再び視線を落とし、揺れる黄色をつんつんと指でつつけば、ラバー素材のそれは軽くそれだけでゆらゆらと左右に揺れた。 そして顔を上げて、もう一度アキラを見る。風呂の中なので何も見につけていないので、なんとなく違和感がある。頭にいつも巻かれているターバンがないからだ。 そして、いつも胸に抱いているアヒルもいない。 でも二人の間には、連なって泳ぐ三匹の黄色いアヒルがいる。 「どうした、そんなに見て」 「べつに……」 「別にって顔じゃないぞ?」 夏樹の意図に気づいているのか、アキラは楽しそうに浴槽のヘリに肘をつき、頬杖の体勢を取りながら笑う。そして小さく首をかしげる。そういう嫌味ったらしい仕草がよく似合う、大人の男。もし同級生として転校なんてしてこなければ、きっと友人や、恋人、そんな関係にはあまりならないような年齢の差だ。 恋人。イミテーションみたいでうそ臭い言葉がぐるりと脳の中に流れて、跳ね上がる。ぴしゃん。釣り上がった魚のように。 「のぼせた」 何だか耐え切れなくなって思わず呟いた舌ったらずの一言はアキラにどう伝わったのだろうか。楽しそうに目を眇めるその一部始終をじっと見つめる。 「それは大変だ」 手を伸ばし、黄色いアヒルを三匹、簡単に取り去ってアキラはあっという間に夏樹との距離をゼロにした。いきなり抱きかかえられて慌てる暇もなく、夏樹はアキラの腕の中にすっぽりとおさまっていた。 「ベッドまでお連れしますよ、王子様」 ハルが王子王子と呼ぶから、と夏樹は思わず悪態をついた。けれど、本当にのぼせたのか頭がゆらゆらとしていて、文句を口に出すことは叶わなかった。 2012年05月29日 |