「なぁ、いい加減下ろせよ」 「だめ」 先ほどからずっと、触れてくる手を離そうとしない。アキラは嫌がる夏樹を自分の部屋に連れて行き、ソファに座った膝の上に乗せたかと思うと、ずっと夏樹の髪に触れている。 魚釣りの罰ゲームに切られた髪。いい加減伸びっぱなしにもほどがあったし、色々なことが解決した、キリのいい時期でもあった。 けれど、まさかあんな風に皆に面白がられながら切られる展開なんて想像もしていなくて、あったはずのものがなくなって簡単にキャパオーバーになってしまった夏樹は、その後からずっと不機嫌だ。 そんな夏樹にアキラは楽しそうな笑みを零しながら、ずっと髪に触れてくる。ものめずらしいようにすっかり露になっているうなじをくすぐったり、短すぎて落ち着かない前髪をねじってきたり。かと思うと額や首筋に唇を寄せてくる。指先と唇でほぼ同時にべたべたと触れられて、小さな熱をいくつも押し付けられた。 「ん、……もう、やめろって、」 アキラは夏樹の言葉を完全に無視して、短い髪を珍しそうに触れながら楽しんでいる。夏樹は無遠慮に触れてくるアキラの指先がくすぐったくて身を捩るけれど、アキラの膝の上に跨らされている状態ではバランスが悪くうっかりするとそこから落ちてしまいそうで怖くて、抵抗しきれない。 くすぐるように耳の後ろの毛先を弄られ、むっとして睨んでも、アキラは楽しそうに笑うだけで。 今までは髪に隠れていた皮膚の弱いところが外気に晒され、しかもそこにしつこく触れられて、夏樹は段々とくすぐったかったはずの感覚が変になっていくのに気づいて、いやだと口の中で呟いた。 「そんなに嫌だったか?」 髪を切ったことを。アキラはそう聞いてくる。そうじゃない、と夏樹は首を振った。そうじゃない。今触れられていることが、何だか恥ずかしくてしょうがないだけだ。そう伝えると、アキラは少し不思議そうな顔をする。 「夏樹は髪を切ってもかわいいぞ?」 「そういうことを言ってるんじゃねぇよ」 本当に通じないな、と夏樹は息を吐いた。 年齢や育った環境の差だけではとても納得できないような溝が二人の間にはあるようだった。単純に日本語が通じないことがあるのは、アキラの日本語の不勉強なのか、それともアキラの頭がおかしいのかどちらだろう。 「俺はどっちも好きだ」 ――ほら、こうやってまたおかしなことを言い始める。 両手で頬をふわりと包まれた。長い指先がレンズと肌の間に入り込んで目尻をくすぐって、夏樹は思わず片目を瞑る。そのまま片方の指でそっとメガネを外され、夏樹は目を開けて先ほどよりも少しぼんやりとした視界でアキラを見下ろした。 褐色の肌も、切れ長の瞳も、緩く撓った唇も、どこも自分と似たところはない。唯一おなじ色の髪も、潮風で痛んだ自分のものとは質感が違う気がした。アキラの髪はつるりとしている。つい手を伸ばしてそこに触れると、ターバンからはみ出た毛先が指先に絡まった。 「夏樹はこれくらい短い方がいい」 「お前の趣味だろ?」 「まぁ、否定はしないな」 前髪の生え際を親指でくすぐられ、そのまま手の甲の方に流れていた短いそれを持ち上げられる。ずっと重い前髪で隠れていたそこ。アキラがいつもよりも見えるような気さえして、ぼやけた視界でも楽しげに笑ったのがハッキリと分かった。 「ん、」 顔が近づき、ちゅ、とリップ音をさせて、アキラは夏樹の額に唇を触れさせた。温かい感触が額から頬へ伝わり、火照ってぼんやりとしはじめる。アキラは額だけでなく生え際や瞼にも口づけを送り、甘ったるいようなそれがどうにも居心地が悪くて、つい膝をもぞりと動かした。 「どうした? 感じたか」 「コロスぞ変態」 オヤジじみたことを言うアキラの鳩尾にブローを送ってやる。わざとらしく顔をしかめるアキラに、そんなに力入れてねぇよと言うように睨みつけた。 「そのままにしてたら可哀想だからな」 ちっとも話を聞いていないアキラはそう言いながら夏樹のシャツの裾に手を入れて、かたい腹を無遠慮に撫でてくる。 「ちょ、何、ここですんの……」 そこまでされると思っていなかった夏樹は、ついぎゅっとアキラの二の腕辺りを掴んでしまう。アキラは意外そうな顔をしていた。 「だめか」 「ダメだろ」 「どうして?」 強い言葉についたじろいでしまう。顔を背けると、追いかけるようにうなじに口づけられた。 「どうして、って……」 ここはアキラの私室で、それはいい。だけどここはソファの上で、寝室ではない。灯りだって全力でついている。それに、もう時間が遅い。今日泊まるつもりはない、と言ったところでアキラは明らかに不満な顔をする。 「なぜだ?」 「なぜって、昨日も……泊まったのに、そんな」 「昨日は昨日、今日は今日だろう?」 逃げようと後ずさる夏樹の腰を掴んで退路を断つアキラは、分からないと首をかしげる。本当に通じない、と夏樹は思いながらも、体に触れてくるあついくらいの手の温度に段々抵抗が弱くなることも自覚していた。アキラに口だけだと言われてもしょうがない状態だ。 「っ、も、……そんなとこ、触んな、」 「昨日はよかったのに、今日はだめなのか?」 「ッ!」 シャツの裾をめくられ背中や脇腹を撫でてくるアキラに嫌だと伝えればそんな風に切り返されて何も言えなくなる。確かに昨日は後ろから繋がって散々その辺りに触れられた。その記憶がまざまざと蘇って、反射的に鳥肌が立つ。 アキラの両手が意地悪く肌を撫で、シャツが肌を擦るだけで何だかおかしな気持ちになってしまった。膝の上に乗せられているなんて体勢もよくないし、何より頭を振っても髪で顔が隠れないことが、夏樹の羞恥心をどんどん煽っていった。 「やっぱりこっちの方がいいな」 夏樹が髪のことを考えていると分かったのか、片手で側頭部を撫でながらアキラはまた満足げな声を出して、もういい加減にしろ! と叫び出したい衝動に駆られた。恥ずかしすぎて、身の置き場がなかった。 「やめろ、それ以上言ったら本当に帰る」 「じゃあ、もう言わないから触ってもいいか?」 「……っ! 勝手に、しろよ……」 結局拒まない夏樹にアキラは楽しげな笑みを止められないようだった。せめて顔を合わせたくないと思う夏樹だが、アキラは許さないだろう。現に腕を伸ばさなくてもどこにでも触れられるこの体勢が気に入ったらしく、ふんふんと鼻歌交じりで夏樹のシャツを脱がしてくる。 背中からシャツを引っ張られて頭からそれを抜いた夏樹は、いつもある引っかかるような感覚がないことに自然と違和感を覚えながら、一人だけ脱ぐのは嫌だと思ってアキラのネクタイを外した。 しゅる、という衣擦れの音に、まんまとアキラの手中に留まっていることを自覚したけれど、もう今更だと思った。体に触れてくるアキラの指を心地良いと思う時点で、もうとっくに逃れられなくなっている。 アキラの体に覆いかぶさるように倒れ込んだ夏樹。アキラは顔を少し上げて前にある柔らかな曲線を描く頬に唇を寄せる。どろどろに甘やかされているような気がして、そうすると素直になれない自分がどこかになりを潜める気がして、その感覚はきらいではなかった。 2012年06月02日 |