「それ以上見るな」 「だって何か、ものめずらしいし」 「見世物じゃない」 「だって」 くすくすと鈴のように笑う声は後ろから。狭い道を横並びで歩けないからだ。すれ違う人がちらちらと見ているような錯覚に苛まれて、夏樹は所在なげに、ずいぶんと涼しくなったうなじに手を当てた。 ちらりと振り返れば、見上げてくる瞳と視線が絡む。歩くたび潮風に吹かれてふわふわと揺れる赤い髪が目に焼きついた。 罰ゲームで髪を切られた。 ずいぶんと伸びっぱなしだったし、切るタイミングをすっかり失ってしまっていたし、ちょうど気分的にもキリがよかった。 だからと言って罰ゲームで適当に切られることには納得がいっていない。ハルが適当にハサミを使うからざんばらになった頭は、開店前の昔から通っている床屋に拝み倒してきれいに整えてもらったが、切りすぎの部分に合わせたせいで、ずいぶんと短くなってしまった。 「今までで一番短かったりする?」 夏樹の後ろを歩くユキはそんな風に問いかける。うーん、と首をひねって、夏樹は過去を思い返した。多分そうだと思いながら、うん、とうなづく。 「そうかも」 「へぇ、レアなところに立ち会えたんだなぁ」 ユキは楽しそうな声を上げる。夏樹からしたら何がそんなに楽しいんだという感じだったが、ユキが嬉しそうな顔をしているならばかまわないかなと思った。 緩やかな坂道を下っていけばたどり着くのは自分の家。ユキに少し待っていて、と伝えて釣り道具を仕舞いに行き、少し妹と話してから再び外へ出た。扉に寄りかかってスマートフォンをいじっていたユキは、夏樹の顔を見るとまた一瞬不思議そうな顔をして、早く慣れろよな、と笑った。 開店前のヘミングウェイにはまだ誰の姿もなかった。常に持ち歩いている店の鍵を使い、中に入り込む。ユキは入っていいのだろうかと遠慮するようにそっとした足音で歩いていて、なんだかほほえましい。自然と唇を緩ませながら、ユキに鍵をしめるように言った。 「えっ」 「だって、誰か入ってきたら困るだろ?」 「えっ、そ、そ、うだ、ね……」 夏樹の意図を分かっているのか、顔を真っ赤にしたユキ。髪の色とおんなじだ、と思いながら、電気をつけないままの店内の、カウンターの裏側に回る。万が一誰かが入ってきても死角になる場所だ。真っ赤な顔でガチガチに緊張しているユキにやわらかい笑みを零して安心させる。 そうして自然と片手の指を絡ませ合い、向かい合ってゆっくりと唇を触れさせた。 「ん、」 小さな声が唇の間から聞こえる。恥ずかしそうにぎゅっと目を瞑るユキの顔を至近距離で見て、夏樹はもっと、と口づけを深くした。 「っ、んん、ぁ、っ……」 「ユキ……」 空いている方の手をユキの頬に触れさせ、指先で耳たぶの辺りをくすぐる。柔らかな唇はぬるくて、同じ温度だと夏樹はぼんやり考えた。 口づけが深くなるにつれ、ユキの体からは力が抜け、段々夏樹に寄りかかるような体勢になる。それを受け止めきれない夏樹はユキの体をゆっくりと崩し、カウンターの陰に座らせた。 繋いでいた手を離し、ユキの頭を抱え込んで強く引き寄せる。ユキも同じように夏樹の後頭部に手を添え、その瞬間に驚いたような顔をして目を開いた。 「っ! ……あ、そっか」 「なんだよ」 唇を離され少し不満げににらみつければ、ユキは不思議そうな顔をして手をそわそわと動かす。いつもと違う、という小さな言葉に、そうか、と夏樹も合点がいった。 「珍しいの分かったから、集中してよ」 「あっ、ごめ、っん……」 しかし夏樹はそれどころではない。熱くなりはじめている体をすっかりと自覚してしまっている。うなじの辺りの髪の短さを指先で確認するユキを無視したまま、カウンターの壁にユキの背中を押し付けて、口づけを深くする。 「んん、っ、ふ、……っ」 ごそごそと衣擦れの音を立ててユキの服をまさぐる。ユキの体も、もう熱くなりはじめていた。夏樹は小さな笑みを零しながらTシャツの裾に手を入れた。 「っ、んん……は、なつ、き、ぃ……も、あつい、」 「がまんしろ」 「うう、っ……」 床に座り込んでズボンをずらして、そんな風に性急につながるのはお互いの体に負担がかかる。それに、気づいたらどこかしらに足や手がぶつかり、小さなあざを作ってしまっているだろう。 ユキは痛みにか目尻に涙を貯めながら、それでも夏樹の首に腕を回して、ぎゅう、と抱き寄せてくる。その仕草にどくん、と心臓が鳴る。一緒につながっているところも反応してしまったらしく、ユキは夏樹の耳元で苦しげに呻いた。 首の後ろに触れる指は相変わらず所在なげだ。夏樹も、少しの違和感を持ったまま、けれどそんなものは些細な違いだった。ユキ、とため息と共に声を吐き出すと、その色めいた声音に、ユキの体はびくびくと震える。 「も、俺やばいかも……」 「っ、おれ、も……」 ぎゅっと肩口のシャツをつかまれ、声をおさえるように唇がぬるい風を胸元に送る。夏樹はその吐息があつくてしょうがないと思いながら、強くユキの体をかき抱いた。 「っ、あぁぁぁ、」 おさえきれずに零れた声をかわいいと思っている間に、夏樹も限界がやってきた。 「やっぱり珍しいのか?」 「……だって」 ほんの少しだけ喉に違和感を覚えながらユキはカウンターの下に潜り込んで隠れるように座っている夏樹を見た。横並びに座っているので、横顔しか見えない。横顔は表情に乏しい、と何かで読んだ言葉を思い出しながら、ユキは手を夏樹の耳元に触れさせた。 「くすぐったいよ、ユキ」 短い髪は今まで見えなかった耳も全てむき出しになっていて、耳たぶの下の辺りの日に焼けていない白い皮膚に触れていると、夏樹は小さく笑った。 その横顔はちっとも表情に乏しいなんて思えないなぁと思いながら、ユキは短くなった髪にまた触れたのだ。 2012年07月10日 |