「あ、っ、だめ……」
「どうして?」
首筋に唇を寄せた男は不満げな声を上げながら顔をこちらに向けた。その表情は楽しんでいるような、不満がっているような。声と共にするりと頬を指でなぞられて、その微妙な刺激に夏樹の背は浮かぶように震える。
「明日……体育」
「あぁ、水泳だったか」
簡潔な言葉で理解したようだ。夏樹と同じクラスの25歳の男は、しっかりと時間割を把握していた。夏樹はその言葉にほっと息をつき、だからやめろ、と再度言葉にする。
「俺は見学したりする気はないからな」
「別に、見せつけてやれ……はいはいそんな顔で見ない」
どうってことないように言う男にギッと強く睨みをきかせれば、降参とばかりに両手を上げ、ふう、と息を吐かれる。
「何でそんな、やめてやる風なんだよ」
「だって、別にキスマークくらいついてたって誰も気にしないだろ」
モラルの欠片もない男の言葉に夏樹は一瞬絶句して、しかしすぐに気を取り直した。こいつはこういう男だって知って付き合っているのは自分だ。けれど、それにしたってひどい。
平日真っ只中に体をつなげようとしてくること自体、夏樹への体の負担を少しも考えていないような男だから、仕方ないのかもしれない。いや、仕方ないで片付けたらこちらの負けだ。夏樹はそんな風に考え、大げさにため息を吐いた。
「……友達いなかったお前にはわかんねぇかもしれないけど」
「うっ」
「普通、そんな目立つ跡つけてたらまず友達に突っ込まれて、その後クラス中に、何なら学年くらいには広まるもんだから」
お前の彼女積極的だな、なんて顔も知らない男から言われるかもしれない。これは口には出さなかったけれど、どうやら本当に過去友達のいなかった学生時代を過ごしたらしい男は夏樹がそれを言ったところで聞いていなかったかもしれない。シーツに両手をつき、何事かぶつぶつとつぶやく男に、めんどくせぇやつだなぁと思う。
(何でこんなのに絆されちゃったんだろうな)
薄ぼんやりと考えながらネクタイを解く。目の前の男によって殆ど緩められていたそれは簡単に解けてしまった。
「ほら、跡つけねぇならヤっていいから」
小さく笑えば、男はサカっていたのを思い出したらしく、手を後ろについてゆっくりと足をくつろげる夏樹の体に覆いかぶさってくる。結局こんな風に受け入れてしまうからダメなんだろうなぁとぼんやり考えながら、柔らかなシーツの上に押し倒される。
「もうちょっとかわいく誘えないのか」
「無理だな」
不満げな顔を隠さないアキラに、仕方ないと目を細めて、二番目まで外されていた白い開襟シャツのボタンをひとつずつ、ゆっくりと外していく。簡単な挑発方法だが、目の前の男の喉仏はごくり、と上下した。褐色の肌色の手が白いシャツの中に入っていく。夏樹はほんと単純なやつだなぁと内心笑みを零した。
「っん……ふ、う……」
すぐに近づいた唇を受け止め、夏樹は小さな吐息を漏らす。アキラの口づけはいつも深く、夏樹の息がうっかりすると止まりそうになるくらいまで酸素を奪って、唇を離せば咽てしまいそうになる。そんな頭がくらくらするようなキスが終わると、アキラは楽しむように夏樹の体に唇を触れさせていく。
「だから、跡つけようとすんな、って」
しつこく首筋や二の腕、わき腹などに唇を寄せる男に、夏樹は何度同じことを言ったか分からない。肌を滑る唇はいつ強く吸い付いてくるか分からず、夏樹はひやひやとしていた。ひとつでもつけられてしまえば即アウト、見学コースだ。それだけは避けたい。
「いやだ」
「俺だって嫌だ、明日水泳の授業なんだから、」
「サボればいいだろ」
顔を上げてこちらを見上げてくる男は、正直25歳には到底見えなかった。わがままを言う子供の顔。何をそんなに甘えてるんだ、と考えるけれど、いつもこんな感じかと思い直す。
「何のワガママだよ……」
指を伸ばしてアキラの顎を掴む。意外に滑らかな肌を指でたどり、ぐりぐりと親指と人差し指で両の頬を挟み込んだ。何をする、と頬をへこませたまま言うアキラに、思わず笑みを零してしまう。
(ハッ、だめだ)
生来の兄気質のせいか、つい庇護欲を感じたままに許しの言葉を口から出してしまいそうになって、慌てて我に返る。ここで許したらきっとアキラは付け上がるに決まっていた。それだけは断固阻止しなければ。
「じゃあ、見えないところならいいか?」
「見えないところって……」
つい視線が下半身に向いてしまう。面積の少ないスクール水着に隠れるところ、その場所を見たまま硬直してしまった夏樹に、アキラは悪戯を思いついた子供そのままの顔で笑った。
「そうだ。見えないところなら問題ないよな?」
そう言うが早く、アキラは夏樹の制服のズボンと下着を一気に脱がしてしまい、そこに唇を寄せた。
「あっ!」
日に焼けることが中々なく、腕や首筋とはずいぶんと色の違う――内股に。顔をうずめたアキラは、楽しそうに笑いながらそこに指を滑らせ、そのまま唇を強く吸い付かせた。
「ッ――ん!」
びくんと体が揺れる。チリッとした小さな刺激。だが、あまり触れられることがなく敏感な内股にされると、すぐになんだか変な気持ちになってしまう。完全に萎えていたはずの中心に熱が集まり始めているのを自覚しながらも、アキラはそこに触れようとはしない。両手で内股を掴んで広げ、時折指先でくすぐるように肌を撫でる。そして唇は内側の柔らかな肉をずっと舐めたり、ちゅ、ちゅ、と口づけたり、いくつも跡をつけているのが見なくても分かった。
「も、お前、何個……つける気だ!」
「体につけられない分」
顔をあげてにっこりと笑みを浮かべる男に殺意が沸く。楽しそうな顔しやがって、とこぶしを握るけれど、それは結局シーツの上に留まっていた。アキラの熱い手のひらの感触は夏樹の気を逸らせ、興奮を煽る材料になっている。夏樹ははぁっ、と小さく吐息を零した。
(何か、変な気分……)
いつも丁寧な手順を踏んでつながることが多いのに、今日は胸や性器に触れられることなくただ内股ばかりを刺激されることに、夏樹は戸惑いと、それ以上に快楽を感じてしまっていた。白い肌はきっとアキラの唇によって所有の意味が込められた赤い跡がたくさんついているのだろう。それを想像しただけで、夏樹の背筋はぶるりと震えた。
「こんなものか」
夏樹にとってずいぶんと長い時間跡をつける行為に熱中していたアキラは、ようやくそう言葉を漏らして顔を上げた。すっかり頬が上気してしまっているのに気づいたのか、アキラはまた楽しそうに笑みを深める。一目瞭然に反応してしまっている性器も、それを助長させる結果にしかならないだろう。夏樹は羞恥に腕で顔を隠したが、すぐに剥ぎ取られてしまう。
「ほら夏樹、見てみろよ」
「……、っ!」
アキラに腕を引かれるままに体を起こした夏樹は、目に入った光景に思わず目を見開く。いつもはつるりとしているはずの内股は、赤い跡がいくつも広がり、足の付け根のきわどいところまでそれは及んでいた。夏樹の頭に思わず浮かんだ言葉はきもちわるい、だったが、なんだか自信満々な顔をしているアキラにそれを言うのは憚られ、口を噤む。
「……これ、ギリギリ見えるんじゃ、」
こことか、と指をさせば、アキラは大丈夫大丈夫と楽観的に笑い、夏樹を再び押し倒す。そして満足げに笑いながら本番はここからだと、深い口づけをひとつ、夏樹におくったのだ。





「夏樹どうしたの? 足痛い?」
ユキにそう聞かれ、夏樹はびくりと体を揺らした。更衣室で着替える時も、今こうやってプールサイドを歩いている時も、内股の跡がうっかり見えてしまわないかびくびくとしてしまう。それをついにユキに不審がられてしまった。後ろを歩くアキラは笑いをこらえているようだ。夏樹は振り向かずに睨み付けるという意味のない行動をしながら、ユキをどうやって誤魔化せばいいかと頭を巡らせる。
「いや、何でもないから。ほら、ハルもうあんなところまで行ってるぞ」
「あ、ほんとだ。ハル! 走ったら危ないぞ!」
「だーいじょうブイ!」
保護者のような掛け声に子供のような言葉を返すユキとハルに夏樹はほっと息をついた。そしてユキがハルの方へ近づいていったタイミングを見計らい、くるりと後ろを振り返る。スクール水着を普通に穿いて、アヒルを腕に抱えているアキラは、楽しげな表情でこちらを見ていた。腹が立つ。
夏樹はアキラの腕の中にいるアヒルを奪い取り、何をする、という顔をしたアキラを懇親の力で蹴り飛ばした。
「うわっ!」
「あっアキラずるーい!」
「こら山田! 何を遊んでるんだ!!」
バシャーン、と盛大な水音を立ててプールの中に落ちるアキラ。すぐに遠くで見ていたらしいハルの高い声が聞こえ、ついでに体育教師の怒号も飛んだ。それにしてやったりと笑いつつも、もう二度とプールの授業の前日にアキラの家には行かないと、心に決める夏樹だった。




2012年07月17日