時差があると誕生日っていつになるんだろうね、と画面の向こうの友達が言った時、はじめて夏樹は自分の誕生日の存在を思い出した。





「夏樹、もしかして忘れてたの?」
「……実は」
「えぇー!!」

小さな機械の画面。その中で揺れる赤い色の髪の毛。心底驚いたような声は、不平すら感じさせる。一年ちょい前とは余りにも別人のようだ、と夏樹は思った。
ベッドの上でごろりと寝返りを打つ。両手でスマートフォンを持てば、重力は下を向くのに、数十時間先にいる友達の髪の毛が下を向くことはない。これってすごいことかも、なんてくだらない発見をしている間も、画面の向こうのユキは不満げに唇を尖らせていた。

「じゃあ誕生日、夏樹はひとりで迎えるの?」
「そうなるかもなぁ」

そもそものきっかけになった時差の話は、もうどうでもよくなったらしい。ユキはひとりだと淋しいでしょ、と言い募る。そしてついに、密かにしていた存在を仄めかされ、どきりと心臓がひとつ鳴いた。

「そうだ、アキラに来てもらいなよ。この間、今アメリカにいるってメールが……」
「そ、そうだな、うん。あ、ごめんユキ、今日ちょっと疲れててさ……」
「えっごめん。あ、誕生日プレゼント送ったから、楽しみにしてて」
「まじで、ありがとう。おやすみ」

ぶつんと通話が切れた。画面が真っ黒になって、途端に自分と顔を合わせることになる。眼鏡をかけた見慣れた顔は、少し慌てたようなそれで、ばれなかっただろうかと視線を揺らめかせる。スマートフォンをシーツに投げ出して、うつ伏せに寝返りを打った。

「夏樹」

どきりと、また心臓が鳴った。今度は先程よりももっと強くだ。痛いくらいに跳ねた心臓を手で押さえつけながら、顔を横向かせる。

シャワーを浴びたアキラがそこにはいた。

ユキに、このことは言ったことがなかった。ユキとのビデオチャットは、いつもアキラがシャワーを浴びている間に行われている。カメラに映らないからと、下半身に何も身につけていない時さえあった。今日はアキラの帰りが遅かったので、夏樹の服は少しも乱れてはいない。

「何の話をしてたんだ?」
「別に、普通。ハルが釣りしてる途中に海に飛び込んだとか、ウララがそれに続いてユキが怒ったとか」
「それは普通だな」

アキラはにやりと笑った。現実には突拍子のない出来事でも、自分たちにとっては普通で、日常のことだ。今は遠ざかっていても、その事実は変わらない。

「重い」
「じゃあ避けろよ」

ひとりで眠るには広すぎる、ふたり用のベッドの真ん中にいたら、アキラに上に乗られて押さえつけられた。馴染んだあつすぎる体温は、シャワーのあとだからかいつもよりもっとあつかった。
背中にのしかかられて、首筋に口づけられる。くすぐったい感触に身をよじった。小さく笑うと唇を押しつけられて、強く肌を吸われた。

「ばっ、か、跡つけんな」

振り返り抗議するように睨めば、不満げな顔が返ってきた。誰かに見せる予定があるのかとばかりに、抗議され返されて、肌の跡はふたつになった。
夏樹はへそを曲げて今日はしないとばかりにアキラの体を押しのけ、大きな布団に包まる。背後で苦笑する声を聞いた。

「……なぁ、明日は、帰ってくる?」
「仕事次第だな」

布団の中から問いかけてみた。アキラは、いつも通りの声を上げた。





かくしてその日はやってきた。
あと数時間で、夏樹の今いる現在地での誕生日になる。つまりすでに体年齢では年を重ねてしまっている訳だが、人間にはその感覚を知る機能は備わっていないので、ノーカウントにした。というか夏樹はそもそも誕生日を重要なこととは思っていない。ユキがあんな顔をしたせいで、つい忘れられなくなっただけだ。

アキラは仕事から帰ってこない。連絡なく帰ってくる日など珍しくもなんともなかったが、スケジュールの共有を提案してみるのはいいかもしれないと、ふと思う。

夏樹はベッドに寝転がって、ちょうど一年前のことを思い返した。あの誕生日は、特にその日に思い入れもない夏樹にとっても散々な一日と思える出来事ばかりだった。妹のさくらがいなくなったり。そもそも夏樹と父親の折り合いが悪すぎたせいで、ケーキやお祝いという雰囲気ではなかった。ケーキくらいは食べたかったなぁ、と、一年前とほぼ同じことを思う。誕生日はどうでもいいけれど、ケーキとなれば話は別だ。夏樹は甘いものに目がない。

「誕生日かぁ…」

日本時間だとすでに十八歳になっているわけだ。十八といえば、日本でなら免許が取れる年齢だが、夏樹がいる州ではすでに取得可能なため、特別な感慨を持てない。日本では結婚ができる年齢だが、今の夏樹には全く縁もない話だ。

(結婚か……)

夏樹はその言葉に、にわかに落ち着かなくなった。日本の風習にも明るいアキラが、そのことを知らないはずはない。夏樹のことを、アキラは好きだと言う。ならば、今日帰ってこないことは余りにも薄情ではないかと思ってしまう。

(違う違う、何考えてんだ、俺……!)

夏樹はぶるぶると首を振って、考えていたことを振り払った。





時間は気づけば、あと数分で日付が変わってしまうという時頃で、もうそろそろ諦めることも覚えなければと悟ってしまうくらいの時間にはなっているようだった。
夏樹はさっきからベッドで転寝を繰り返して、夢うつつの中で何度もアキラに会っていて、けれど現実にはやはりアキラはまだ仕事から戻っておらず、携帯に連絡もなかった。そのたびにため息は重なり、結局もうこんな時間というわけだ。
もう諦めるしかないと、いっそ電気を消して眠ってしまおうかと思ったとき。ばたばたと走る音がして夏樹はびくりと体を揺らした。

「……た、ただいま、っ、はぁっ」

ほどなく扉を開けたアキラは息をかなり荒げていて、そのことに驚いて夏樹は少し怒っていたことも忘れてしまっていた。どうかしたのかと問いかける前に抱きしめられて、その強い腕と、耳にかかる荒い息に、落ち着かなくなる。

「あと……何分だ、十秒?」
「アキラ、」
「ほら、夏樹。目閉じて」
「えっ、」

突然の言葉に夏樹は対応しきれない。するとアキラは焦れたように瞼を手のひらで塞いできて、それと同時に唇にはアキラのそれが重なる。深い口づけは息を忘れてしまえるほどに甘かった。

「夏樹、誕生日おめでとう」

時計を見ることができないから時間は分からなかったけれど、アキラがそう言ったからきっと、今この瞬間に夏樹は十八歳になったんだと思った。今一秒時がずれていたとしても、それはもうどうでもいいことだ。
夏樹はゆっくりと離れていく手のひらを追いかけるように瞼を開けた。至近距離には少し恥ずかしそうなアキラの顔がある。

「本当はもう少し早く戻るつもりだったんだけど、」

言いかけたアキラの唇を手のひらで塞ぐ。そんな言葉はもう夏樹には必要なかった。夏樹のために急いで帰って来てくれたことも、何より最初に抱擁とキスをくれたことも、おめでとうの言葉も、きっと夏樹がずっと奥底で願っていたことだったから。誕生日に祝われるという単純だけれど嬉しいことを、思い出させてくれた。

「……ありがとう、アキラ」

夏樹は思わずこみ上げてしまいそうな自分を叱咤し、精一杯の笑顔でアキラにそう言った。そして待ちきれないと唇を寄せる。アキラはすぐに意図に気づき、小さな笑みを浮かべながら夏樹を抱き寄せた。




2012年08月28日