「好きだよ、好き。大好き。ムッちゃん」
二人で話していて、ふと会話が途切れた瞬間。料理を作る俺の後ろ姿を見ながら。一緒にアポの散歩をしている道すがら。
――そしてこうやって俺を押し倒しながら。
日々人は惜しみなく愛の言葉を与えてくる。受け取りきれないほどのそれを、六太は正直もてあましている。
六太のそんな思考を日々人は全く気づいていない。興奮したように声を上げ、息を少し荒げながら体をぐいぐいと押し付けてくる。日々人の鍛えた肉体はかたくて柔らかな女とはなにもかも違った。



うっかりソファで転寝をしていた俺は、仕事から帰ってきた日々人に全く気づかなかった。飼い犬のアポが主人の帰りを歓迎するように吼えていたようだが、それにも。どれだけ深く眠ってしまっていたんだろうかと、俺は内心舌打ちする。
しかし後悔しても今更だった。日々人の帰りに気づかなかった俺は、まんまと仰向けに眠っていた体の上に圧し掛かられるという失態をおかしてしまっていて、体重のほとんどをかけて押さえつけられてしまっては、同じ男だとしても力だけでここから抜け出す術はないように思う。
「あのね、日々人君」
「なに? ムッちゃん」
至近距離で見つめて、時折がまんがきかないように頬や目尻、唇の端に口づけてくるこの世に一人しかいない、血の繋がった弟であるはずの日々人。焦ったように上ずった俺の声に、小さく首をかしげる。もうすっかりがっしりとした体型の青年男性だというのに、かわいらしい仕草が妙に似合うのは不思議だった。
(いや、不思議でもなんでもねぇ。これが日々人の魅力なんだ)
憎めないというかなんというか。逸脱したことをしても、怒るに怒れないというか。それはきっと兄の欲目というものが多大に含まれていることは自覚していた。けれども、それでも。
(やっぱ弟がアニキを押し倒すってのは、ねぇ〜よ!)
「ねぇなら、今この状態になってないでしょ?」
「俺の心を読むな!!」
両手首をがっちりと日々人の手によって押さえつけられ、体全体でのしかかられてほぼ身動きの取れない俺は、唯一自由になる口でどうにかしようと試みるも、どうにもならないとこの瞬間悟ってしまった。
なぜなら、日々人は本気だからだ。
俺のささやかな抵抗なんてこの通り。日々人に甘い口づけを送られると、なんだかもーどーでもよくなってしまう。
(兄の矜持が揺るぐ……イカンイカン! ……でも、気持ちいいのは本当だから困る……)
そう、日々人の愛撫は俺の弱いところばかりを徹底して狙うから、心の前に体が落ちてしまう。なんという弱い意志だ。体だ。けれどこれが男の性なのであって……。
「ムッちゃん、何考えてるのか大体わかるから、一旦やめようよ」
「んぁ、うるせー、馬鹿日々人!」
「馬鹿ってなんだよ! ムッちゃん!」
明け透けない言葉に日々人は慌てているのと怒っている、その中間の顔をして言い返した。その一瞬の隙を狙って日々人の拘束から逃れようとするけれど、手の力はひとつも緩まず、有体にいうと失敗した。
「ばーかばーか! 手ぇ離せよ!」
「やだね!!」
日々人は少し怒ったような顔をして、顔を近づけてきた。兄弟ではありえない距離感をあっさりと突破して、日々人は俺の唇に口づけてくる。
「っ、んぁ、……ぅ、っ、んっ」
深く舌を絡ませる口づけに翻弄された。日々人の舌はいつもあつくて、すぐにのぼせそうになる。
「ムッちゃん、いい声」
少し顔を上げた日々人がべろり、と唇を舐めながら言った。頬はすっかり欲望に赤く染まって、嬉しそうに細めた目がやらしかった。日々人のそんな顔に完全に欲望を覚えている自分に、どうしてこうなったんだ、と思うけれど、思い出せない。頭は簡単に馬鹿になる。くらくらと酩酊したようになって、目の前のことしか考えられない。
目の前。つまり日々人だ。
「ひび、とぉ……」
「どうしたのムッちゃん。もっとシテほしい?」
「っ、ばっか、っあ! んっ、うぁぁ、っ……は、」
至近距離で笑った日々人は、俺の悪態を聞く間もなく再び口づけてきて、深く浅く繰り返されるそれに陥落させられる。
「ムッちゃん、好きだよ」
そして息継ぎを忘れる勢いでそう言い募る日々人。拘束の手が緩んでいることに気づいたけれど、もう俺の体はぐずぐずで、抵抗することをすっかり忘れてしまった。
「好きだよ、大好き、ムッちゃん」
「っ、も、お前、言いすぎっ……! ぅあ……」
「だって、ムッちゃんが好きなんだよ、俺。信じてよ」
深いキスをして、言葉を吐く。その繰り返しにぐらぐらと頭が揺れる。何度も陸へ上げられる魚になってしまったようだ。日々人の口づけに溺れて、自分が陸だか海だか宇宙だか、全くどこにいるか分からない。
「言い過ぎで、真実味がねぇ、よっ……っ、」
「でもムッちゃんは、俺が言わないと忘れようとするでしょ?」
「っ!」
それは完全なる図星というやつで、俺はもう何も言うことができない。普通の兄弟でいる時間が長ければ、そのままそっちにふらりと流されそうになる俺は、いつだって日々人の仕掛けてくる行為によってこちらに留まっているにすぎない状況だ。それを日々人が不満に思っていることも、もちろん知っている。
「だから俺はムッちゃんが好きだって、毎日でも言うよ」
頬を撫でながら真剣な顔をする日々人に、笑って誤魔化すことはできそうになかった。仕方のない弟だ、とそう思う。
(でもそんな弟が俺はかわいくてしょうがねぇんだから、どうしようもねぇわな)
すっかり自由になった手を日々人の頭に乗せて、ぽんぽんと軽く叩く。なんだよお、という目をする日々人に悪戯をする子供のように笑えば、一瞬で嬉しそうな顔をした日々人がまた唇を重ねてきて、俺は日々人のことしか考えられなくなった。




2012年05月29日